私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

在るだけ

いつから月の満ち欠けに左右される体になったのか 満月も新月も、どちらも辛い 感覚が鋭いのは良いことばかりではなくて こうした微々たる変化さえも私を狂わせる要素になる 幸いなのは、触覚だけが妙に鈍いこと 武道を長くやっていたからなのか、私は体の感…

恋に

恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす この都々逸が昔から好きで事ある毎に思い出してしまう。 言葉だけが表現ではない証 生きるというのは全身での表現そのもの

見えないものが見える時

見えないものも 実は見える 見ようとすればの話だけれど 聞こえないものも、触れないものも同じ 見えない、聞こえない、触れないという思い込みがあるだけ 息だって夏は見えないけれど、冬になれば見えるように 本当は私たちの生活が 本当にたくさんのものに…

沼へ近付く

疲れている。 酷い疲れは癒されることもなく。 精神の奥深くに沈殿していく。 普段は存在すらしないように振る舞いながら、確かに私の精神の一部を占めている。 湖の水面、海面。 そうした表層に重く、濁ったものは普段上がって来ないけれど水中に重い何かが…

食べるという事

昔の話。 私は常に空腹で。 今でも食い意地を張っているのは、きっとあの頃の空腹を体が覚えているから。 慢性的に体調が悪く、僅かな食事に耐えるしかなかった頃があった。 だから、私は空腹になるとすぐ不機嫌になる。 もちろん、八つ当たりなどはしないけ…

鬼束ちひろと光と影と世界の話

昨日読んだブログ? のようなものに鬼束ちひろの魅力は光と影だと書いてあった。 私はそれが確かめたくて、昨日からずっと鬼束ちひろの声を聞いている。 私は鬼束ちひろから光を感じたことはそれほどなかった。 しかし、私が意図的に明るい曲を見過ごしてい…

灯りは闇を美しく見せるためにある

闇の美しさを示すために灯りはある。 照らすという行為は、実は闇を主体にしたものなのだ。 古来、日本人はそのように闇を美化してきた。 灯籠も行灯も提灯にしても何もかも、闇を美しく見せるもの。 決して灯りが主役にならない。 光と影が対立しない、奇妙…

鬼束ちひろが引っ越した

午前一時は私にとって1日で最も好きな時間。 救いようのない陰鬱とした曲を掛けながら、友人のブログを眺めたり、こうしてブログを書く。 1日の中でただ文章だけに触れる時間。 疲れ果てた体、止まらない耳鳴り。 体がもう限界だと、毎日この時間になると悲…

円周の上で

死にたい、という言葉は昔から違和感があった。 死とは全てを無に還す力の頂点のようなもので、そこに願望としての「○○したい」という言葉が続くのはあまりにもおかしい。 暑い冬とか、空を歩くとか、それに近い違和感。 虚無を目指す時、人が力を出せるはず…

昔から今に至るまで

久しぶりにゆっくりとブログを更新する時間ができ、ようやくパソコンから書けるようになった。 思い返してみれば私の人生は「家族」という問題を中心に巡って来たように思う。 その殆どは反吐が出るようなものだったけれど。 私が一般的に強いとされる人間に…