私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

「頑張ったね、頑張ってきたね」

7月に開いた店が終わる

 

去年から準備してきたものが灰塵に帰す

 

そんな折、店のカフェスペースに3人来店した

 

とある宗教団体の人たちで、手を当てて体の不調を取るのだそうだ

 

神経痛が痛む、と漏らしてしまったのが良くなかった

 

一人が私の腰に手をかざし始めた

 

特に問題はないから飽きるまで放っておこうと決める

 

すると、整体ができるのか痛みのある場所を圧迫し始めた

 

整体だから当たり前だが、腰が軽くなった

 

手をかざし、整体を織り混ぜながら

 

「頑張ったね、頑張ってきたね」

 

と何度も言われるうちに涙が溢れそうになった

 

店ができてから潰れると決まったこのタイミングで

 

その言葉はあまりにも心の襞の奥深くに入ってしまう

 

頑張った、頑張ってきたね

 

極限の状況ではシンプルな言葉が響くのだろう

 

今のタイミングで、あの言葉は堪えるのが苦しかった

 

けれども、やはり私は弱くなったのか嬉しさも奥底にあった