何か文字を書くのなら『正しく』『理路整然』としなければならないと思っていた
人に何かを伝えるのなら、論理を精緻に組み立てて、誤解の余地が一切ないものでなければならないと
しかし、私が本当に書きたいのは論理ではなかった
私はこの血と肉が、骨と神経が、過去と怨嗟が溶け合い何とも形容のできないこの『何か』を少しでも体と心の外へ出したいだけなのだ
こんなものを抱えていては、私は明日を生きていけない
こんな思いを背負えない
全力疾走した後で呼吸をするように
切られた傷を押さえるように
熱湯に触れた手を引くように
必死に、無意識にそうしてしまうだけ
生きるために私には文字が必要で
私の人生に論理が通用しないのと同じで、私の文章にも論理は通用しないだけ
もっと説明のしやすい、理解のたやすい人生であればどんなにか良かっただろうか
解釈しようにも経験したことのない色味、風景、感覚、温度
ただ彷徨っているだけ
この流れていく血の混じる懊悩と煩悶はナメクジが這った痕のように、私の人生の軌跡となっていく
美しい人生が良かったと俯きながら呟くナメクジ
もっと良い人間になるはずだった
帰る場所がどこかにないかと殻を探して
遠藤周作の『沈黙』は神が苦しむ民を前にしても何も言わないところに絶望があった
しかし『神』がいると信じるその心の中に、実は救いがあったのかもしれない
私が『神』すら信じられないのは『神』なんて大それたものを必要としない存在だからだ
ただ悶え、その動きで血や体液を撒き散らして塵になっていくものだからだ
仮初の宿にしては現世は、人間の命は長すぎる
あと何度、私は夜に溶けてしまいたいと願いながら朝を迎えるのか
もう何度、私の網膜は朝陽に焼かれたのだろうか
明けない夜がないことほど、絶望的なことはない
日光を嫌う私に嫌がらせのように与えられた明るい瞳は、もう朝陽の熱に耐えられないというのに