私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

夜の神社に雨が降る

こんな鬱を経験するのは何年振りだろう?

 

寝てばかりで意欲が湧かず

 

窓の外は気が付いたら暗くなっている

 

疲れているのだと自覚するのは

 

いつも倒れてから

 

4日間も寝てばかりになるほど疲労していたなんて

 

気付くのが遅すぎる

 

今日は10日ぶりにジョギングをした

 

走っていると雨音が近付いてきた

 

帰りに寄るいつもの神社の木々を打つ雨音

 

心が洗われていくようだった

 

体を動かした爽快感と相まって呼吸が深くなる

 

鳥居の前で立ち止まると雨粒が急に大きくなり

 

静かだった境内がにわかにざわめく

 

この雨が疲れまで流してくれるようで心地良かった

 

火照る頬を雨が打ち、汗が流されていく

 

聞こえるのは雨が林を打つ音と、私の呼吸音だけ

 

私は今日、疲れを癒すために神社に招かれたのかもしれない


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「頑張ったね、頑張ってきたね」

7月に開いた店が終わる

 

去年から準備してきたものが灰塵に帰す

 

そんな折、店のカフェスペースに3人来店した

 

とある宗教団体の人たちで、手を当てて体の不調を取るのだそうだ

 

神経痛が痛む、と漏らしてしまったのが良くなかった

 

一人が私の腰に手をかざし始めた

 

特に問題はないから飽きるまで放っておこうと決める

 

すると、整体ができるのか痛みのある場所を圧迫し始めた

 

整体だから当たり前だが、腰が軽くなった

 

手をかざし、整体を織り混ぜながら

 

「頑張ったね、頑張ってきたね」

 

と何度も言われるうちに涙が溢れそうになった

 

店ができてから潰れると決まったこのタイミングで

 

その言葉はあまりにも心の襞の奥深くに入ってしまう

 

頑張った、頑張ってきたね

 

極限の状況ではシンプルな言葉が響くのだろう

 

今のタイミングで、あの言葉は堪えるのが苦しかった

 

けれども、やはり私は弱くなったのか嬉しさも奥底にあった

散りぬべき

限界だと思うけれど、振り返ればそんなことばかり

 

頼みの綱が、支えてくれる存在がいてくれるだけでも救いがある

 

仄明るい

 

いつも、仄明るい

 

メガネを外した視界のように

 

水中で目を開いたように

 

目覚めた瞬間のように

 

あまねく全てが輪郭を失って

 

自分と世界の間隙が、決定的なその間が

 

現実感を薄れさせる

 

人が目で見て瞬時に理解しているのに

 

こちらは暗闇で物事の輪郭に触れ

 

ようやくのこと理解していくようなぎこちなさ

 

世界は、私の世界はいつも暗がりの中にあって

 

それなのに絶望しきることを許さない

 

必ず希望を残して、仄明るく私を照らす

 

仄明るく

 

仄明るく

目の移り変わり

嫌なことがあったから10年前から今日までの画像を眺めて現実逃避をしていた

 

喉の奥に張り付く熱を帯びたヘドロのようなものを、少しでもごまかしたかった

 

10年前から今日まで疲れていない日が幾度あっただろう?

 

不眠症の一日は長い

 

20歳の時には既に一生の長さに辟易として、助かろうとする意欲も失せていた

 

弱音は嫌いだ

 

でも、弱音しか私の心には響かない

 

そんな目を10年前には既にしていた

 


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右目だけが二重になり、左目は怒りで狂っていた時期を引きずっている

 

家に帰ると哲学書を読み耽る日々だった

 



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今年の目と比べてみると、やはり昔の方が苦しそうだ

 

目は精神状態を示すのは本当だとわかる

 

年を経るごとに楽になっているのだと信じたい

バスケットコート

美しい夕焼け空だった

 

生い茂る木の葉の隙間から覗く

 

夏らしく彩度が高く

 

橙と紅の混じる濃い色合いをしていた

 

この空の色

 

鮮やかな夕焼けの隅に深い紺が滲み始めている色味

 

この色には見覚えがある

 

小学四年生の頃だったように思う

 

団地の中にあるバスケットコートのフェンスに上り、ずっと夕日を見ていた時の色

 

日食があった

 

太陽を直接見ると目がつぶれる

 

だから、配られた黒いシート越しに見るようにと

 

そんな風に教室で教わった日だった

 

何も見たくない、これ以上

 

目がつぶれるのなら本望だと思い、私はその日に夕日が沈むまで太陽を眺めていた

 

9歳の頃、ヘレンケラーの伝記を読んだ時に視力や聴力がないことが不憫だと思うのと同時に羨ましくもあった

 

見えるからこそ、聞こえてしまうからこそ生まれる不幸がある

 

私の体はその頃から生を拒絶し続けていたのかもしれない

 

夕焼けが沈んだ後、私は自分の手のひらを眺め、ありありとその造形が視認できることに絶望をした

 

こんなはずじゃなかった

 

あれから四半世紀も経ち、私はまた夕焼けの下で手を眺めている

 

こんなはずではなかったと、心の中で呟くとジョギングコースにあるグラウンドから少年野球の声が響いた

 

バスケットコートで聞いていた同級生の声にも似ていた

 

9歳のあの頃から

 

壊れてしまったものを幾度も数え

 

手放したものを見ないふりをして

 

少しずつ腐食する精神に気づいているのに

 

目の前にある些事に追われていると自分に言い聞かせている


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ナメクジ

 

 

何か文字を書くのなら『正しく』『理路整然』としなければならないと思っていた

 

人に何かを伝えるのなら、論理を精緻に組み立てて、誤解の余地が一切ないものでなければならないと

 

しかし、私が本当に書きたいのは論理ではなかった

 

私はこの血と肉が、骨と神経が、過去と怨嗟が溶け合い何とも形容のできないこの『何か』を少しでも体と心の外へ出したいだけなのだ

 

こんなものを抱えていては、私は明日を生きていけない

 

こんな思いを背負えない

 

全力疾走した後で呼吸をするように

 

切られた傷を押さえるように

 

熱湯に触れた手を引くように

 

必死に、無意識にそうしてしまうだけ

 

生きるために私には文字が必要で

 

私の人生に論理が通用しないのと同じで、私の文章にも論理は通用しないだけ

 

もっと説明のしやすい、理解のたやすい人生であればどんなにか良かっただろうか

 

解釈しようにも経験したことのない色味、風景、感覚、温度

 

ただ彷徨っているだけ

 

この流れていく血の混じる懊悩と煩悶はナメクジが這った痕のように、私の人生の軌跡となっていく

 

美しい人生が良かったと俯きながら呟くナメクジ

 

もっと良い人間になるはずだった

 

帰る場所がどこかにないかと殻を探して

 

遠藤周作の『沈黙』は神が苦しむ民を前にしても何も言わないところに絶望があった

 

しかし『神』がいると信じるその心の中に、実は救いがあったのかもしれない

 

私が『神』すら信じられないのは『神』なんて大それたものを必要としない存在だからだ

 

ただ悶え、その動きで血や体液を撒き散らして塵になっていくものだからだ

 

仮初の宿にしては現世は、人間の命は長すぎる

 

あと何度、私は夜に溶けてしまいたいと願いながら朝を迎えるのか

 

もう何度、私の網膜は朝陽に焼かれたのだろうか

 

明けない夜がないことほど、絶望的なことはない

 

日光を嫌う私に嫌がらせのように与えられた明るい瞳は、もう朝陽の熱に耐えられないというのに

デザフェス

デザフェスに初めて行ってみた

 

個人的に会いたい知人と、好きな服のブランドを見てきた

 

個人の世界観が駄々漏れになっているブースと「愛されたい」「見られたい」という感情が溢れているブースがない交ぜになり、あれはあれで異様な空間だ

 

でも、明るい

 

明るすぎた

 

明るい世界だ、デザフェスは

 

作られたものがきっと人から愛されると心の底で信じているような

 

そんな人ばかりが出展していた

 

それが悪いことではない

 

創作意欲はそういう気持ちが維持してくれるところもある

 

そういう、心の底に陽が射している人はみんな眩しい

 

何だか違う世界を見た気持ちだ

 

人が多すぎたせいか、酷く疲れてしまった

 

今日はゆっくり眠ろう