私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

灯りは闇を美しく見せるためにある

闇の美しさを示すために灯りはある。

 

照らすという行為は、実は闇を主体にしたものなのだ。

 

古来、日本人はそのように闇を美化してきた。

 

灯籠も行灯も提灯にしても何もかも、闇を美しく見せるもの。

 

決して灯りが主役にならない。

 

光と影が対立しない、奇妙な世界観が日本にはある。

 

照らされるから闇が際立ち、闇の中でしか灯りが存在できない。

 

闇の中にある灯りとも言えるし、灯りに照らされる闇とも言える。

 

その空間は闇と灯りが併存しなければ成り立たない、美しく怪しく儚いもの。

 

燦然と網膜に突き刺さる光ではなく、睫毛を優しく撫でるような、そんな日本の灯り。

 

私は幼い頃から日本の灯りが好きだ。

 

闇と決してぶつからず、光と闇の境界線が朧で柔らかい。

 

灯りは闇を美しく見せるためにある。

 

闇は灯りによって活かされる。

 

光を放つ人ではなく、灯りを持つ人間になりたい。