昨日読んだブログ? のようなものに鬼束ちひろの魅力は光と影だと書いてあった。
私はそれが確かめたくて、昨日からずっと鬼束ちひろの声を聞いている。
私は鬼束ちひろから光を感じたことはそれほどなかった。
しかし、私が意図的に明るい曲を見過ごしていたことが分かった。
私は幼い頃から関心のないものを認識すらしない。
何度も聞いていたはずの曲の一節が希望を滲ませている事に気付いたのだ。
彼が言っていたのは明るい曲と暗い曲があるということではなく、一曲の中にある明暗があるとも言っていたらしい。
crowは明るすぎてリピートするのは辛くなってしまうほど。
それでも鬼束ちひろの声なら、歌詞さえ理解しなければcrowでさえ聞き続けられる。
どうしてなのか、鬼束ちひろの声だけは昔から私の心に摩擦なく染み込む。
鬼束ちひろは引っ越してしまった。
それが寂しいので、私はライブの音源をずっと聞いている。
月光、流星群、蛍、インフェクション。
特に月光は良い。
生の全てを否定するような、必死に生きた人間の灰を眺めているような感覚。
どれほど誠意の限りを尽くし、神に愛される人間になろうと努力をしても、全ては水泡に帰す。
それが不幸なことなのかは分からない。
世界とはそもそも人間ごときの幸福など気にしていないのだから。
それが救いなのかもしれない。
どれほどの深傷を負っても、幸福の絶頂でも同じ温度で眼差しを送る何かがあることが、救いなのかもしれない。
私の矮小さを、私の絶対的な価値を、世界が示してくれているようで。
私は残酷で冷徹で無慈悲な世界を好きになれそうな気がする。