私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

食べるという事

昔の話。

 

私は常に空腹で。

 

今でも食い意地を張っているのは、きっとあの頃の空腹を体が覚えているから。

 

慢性的に体調が悪く、僅かな食事に耐えるしかなかった頃があった。

 

だから、私は空腹になるとすぐ不機嫌になる。

 

もちろん、八つ当たりなどはしないけれど。

 

令和の時代に空腹の辛さなど訴えても共感なんて得られない。

 

食べられることがどれほどありがたいのか伝えても無駄なのだ。

 

貧民街出身の人間にしか響かない話。

 

稼がなくなると食べられなくなる。

 

その恐怖が私を動かしている部分があるのだ。

 

早くこの体を捨て去ってしまいたい。

 

古傷ばかりに翻弄されるこの体を。

 

私は必死に生きた。

 

だからこそ、歪んだのだ。

 

必死にならなければ生きられない状況が、私の人間として生かす為の紐帯を切り落としてしまった。

 

歪な人間もどきへと変えた。

 

本当は。

 

人生は適度に力を抜き、穏やかに過ごせば良いはずなのだ。

 

ある程度こそが最も幸福なはず。

 

そこで留まれないのは、私が愚かだから。

 

過去に振り回され、欲望を追い掛け、不安に支配されているから。

 

人生の、穏やかな暮らしの醍醐味を自ら捨てて、私はどこへ行こうというのか。

 

私は人をだめにするタイプなのだろう。

 

いや、人のだめなところを浮き彫りにさせるだけなのかもしれない。

 

優しさを当然だと思い始めたら、もう人間は終わり。

 

その手合は離れていくと追い掛けてくる。

 

だから、離れないよと伝えてから離れることにしている。

 

私は僅かな人たちを除いて、大多数の人と関わりたくない。

 

あなたが触れない私ならないのと同じだから。