疲れている。
酷い疲れは癒されることもなく。
精神の奥深くに沈殿していく。
普段は存在すらしないように振る舞いながら、確かに私の精神の一部を占めている。
湖の水面、海面。
そうした表層に重く、濁ったものは普段上がって来ないけれど水中に重い何かが水底へ落とされると、沈殿しているものが散乱していく。
この疲れはこれまで私の底へ溜まった、沈殿しているものと同化してしまうのだろう。
そうして、時間の経過と共に私は沈殿する汚れや痛みに満たされて、上澄みさえ持たない沼のようになっていく。
いつかは綺麗だったはずのものや人が時間と共に沼のように朽ち果てて行く。
体なんてそんなもの。
形あるものなんて、そんなものだ。
それでも形あるものしか触れられず、形ないものを何とか見えるようにするのが人の営み。
疲れたのは何かを作ったから。
エアコンのフィルターなら掃除はできるけれど、人間の掃除はどうすれば良いのだろう?
神様や仏様は今日も私の事が見えないらしい。
慈悲を唱えるその本体が無慈悲というのも面白い話。
この過剰な感受性だけでも取り去ってくれたら良いのに。