私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

見えないものが見える時

見えないものも

 

実は見える

 

見ようとすればの話だけれど

 

聞こえないものも、触れないものも同じ

 

見えない、聞こえない、触れないという思い込みがあるだけ

 

息だって夏は見えないけれど、冬になれば見えるように

 

本当は私たちの生活が

 

本当にたくさんのものに満たされている

 

産まれたその時から、こんなにも溢れるものに満たされているのに

 

私は何もないと、そう思い込んで

 

幾つも大切なものを手放してきた

 

本当は全てあるのに

 

何もないと思い込むその思考が

 

見える人を下衆に変え

 

聞こえるものを悲鳴に変え

 

触れるものをガラクタにした

 

全て自分の責任であるのにもかかわらず

 

全ての責任を転嫁して

 

満たされている自分の人生を足蹴にして

 

私が私を呪っていただけだった

 

それでも私は呪いたいのだ

 

形だけでも、本心でなくとも

 

私が私の人生を認めてしまったら

 

これまでの私が報われない

 

これからの私は救われないけれど