ほとんどの季節に嫌な思い出が詰まっている私の人生の中で、秋だけは唯一安心ができる。
18歳の頃、私はPTSDだと診断された。
その少し後に秋が来たような気がする、明確に覚えているわけではないけれど。
当時の事はあまり覚えていない。
けれども、ようやく休んで良いのだと大義名分を与えられた気がした。
PTSDというのは私にとって贖宥状のようなものだった。
それから私は闘病をしたのだけれど、あいにく闘病中の事はあまり覚えていない。
何度かの自殺未遂をして、何度かは境界線を踏んだ。
生きている事は、ただ辛い。
秋という季節は、そんな私の中にジクジクと熱を持つ怨嗟を少し冷ましてくれた。
ハケで掃いた様な雲、仄かに夏の余韻を持つ日中の日差し、夜になると皮膚の少し下まで染み込む冷気。
どれもが好きなものだった。
秋だけは私がちゃんと呼吸をできる。
他の季節は古傷を刺激するものが多過ぎて、私には辛い。
秋だけは、秋だけが私が私のままである事を許してくれる。
他の季節は私を通り過ぎて来た過去の排泄物だと痛感させるのに、秋だけは私に何もしないのだ。
何もない事がどれほど幸福か。
私に物欲がほとんどないのは、捨てたいものばかりが私の中にあるからなのだろう。
捨てたいのに、捨てられないものばかりが散乱している。
こんな人生になるとは……と自己憐憫に浸ることができたなら、どんなにか気持ちが楽になるだろうか。
私は知っている。
その人生を自分で選んだ事を。
得られるものばかりに目を奪われ、代償が何かに目を瞑ったのは私なのだ。
技術を得るというのは、何かの芸を習得するという事は、自分を改造する事。
天に唾する行為であり、芸事に携わる人間はあまねく呪われる。
自分を改造しようと傲慢にも願い、時間を掛けて自分自身に呪いを掛ける。
解く方法がない事は誰も教えてくれない。
それでも望んだものを手に入れる代償は払わされる。
大人になって分別が付けば失うものの価値を知らずに高望みした愚かな自分を悔やむしかない。
その責任を負うのは、自分でしかない。
今持っている技術の全て、あまねく芸を捨て去っても良い。
だから、私の中にひしめく痛みの数々をどうか取り去って欲しい。
幼い頃の私は努力が呪いの別名だと知らなかったのだ。
夢や希望が絶望だと想像だにしなかった。
そして、夢を見た責任は、希望を追い求めた代償は、努力で支払った痛みは、自分自身で受け止めるしかない。
大人になってからどれほど自分が自分を呪って来たのかを知った私は、小さく嘆息を吐くしかなくなった。
被害妄想も自己憐憫も何もかもが虚しい。
私を呪ったのは、私なのだから。
恨む相手は私しかいない。
秋だけはそんな私を許してくれる。
自らに呪いを掛けた私を、それでも見守ってくれる。
一年の中で今は一ヶ月も感じられない秋だけが。
金木犀が散る頃に、私はまたいつもの場所に戻される。