性に関する話。
今日は性に関する話を久しぶりに思いきり聞いたような気がする。
場所が歌舞伎町だからなのだろうか。
とにかく、久しぶりに元気な人が傍にいたのだ。
性の持つエネルギーは相当なもので、あっけらかんと、あそこまで無邪気に性を追求できるのであれば、それはそれで聞いている方としても気持ちが良かった。
そういう人もいるのだ。
私にだって性欲はある。
しかし、外へ出ると消えてしまうのだ。
消える、というのは言い過ぎかもしれないけれど、私はこの過剰な感受性を持っているせいなのか、外にいる時にはその場で平静を装うのに必死になってしまう。
声から滲みだす感情が私の中へ沁み込まないようにするために。
眼や立ち振る舞いから溢れ出る人の気配から私を守るために。
そんな風にして過ごしていると、性欲を追い求める気力など残らない。
仮にこんな体質でなければ、きっと私も無邪気に異性を追いかけていたのだろう。
今日つくづく感じたのは、私にはやはりいわゆる普通とされる人達と共有出来るものがあまりにも少ないという事。
初めて話す人たちは共通の話題を探している。
女の話をして大笑いし、体液の匂いを溢れさせる。
私は「そんな世界を生きている人がいるのか」と感心するしかない。
話を振られても愛想笑いで自分から他の場所へ焦点が移るのを待つばかり。
女遊びは男の甲斐性だと、そういう人たちに囲まれていた時期があった。
虚勢を張り、紋切り型の男らしさを追い求める集団の中にいた。
どうしてなのか武道や格闘技を習う人達は、紋切り型の男らしさをこれ見よがしにひけらかす。
強さとは強さ以外の意味はないのに。
強さとは性に放埓な事ではない、強さとは不躾な事ではない。
強さとは強さ以外の意味を持たないのだ。
そんな世界に私は嫌気が差して18年も住み着いた場所から身を引いた。
別に私は性に関するものが嫌いなわけではないし、妙に聖人君子を気取るつもりもない。
しかし、まだ性に関する自分の居場所のようなものさえ分からない。
どこが私が落ち着ける場所なのかが分からないのだ。
分かっているのは無頼を気取る臆病者のいる近くに私の居場所は恐らくないだろう、という事。
そんなものなのだ。
今日は何となく混乱してしまったけれど、それはそれで良い日だったのだと思う。
めったに考えない性について少しでも考える事ができたのだから。