昨日は久しぶりに椿屋珈琲へ行き、偉く高いセットを頼んでしまった。
しかし、一人の時には行く店ではないし、たまにはこういう成金気取りも悪くないと思う。
友人とあれやこれやと話していたのだが、ああいう時間が私にとっては非常に大切なのだ。
どうしたって本当に自分の人生を生きようと思えば、必ず懊悩に遭遇してしまう。
とりわけ、私や彼女のように一般的に「異質」だと思われやすい人間にとって、この世は本当に生きるのが辛い。
私は二十代後半まで絶望の底を彷徨っていたような気分で過ごしていた。
どこにいても居場所はなく、誰と話しても理解されず、何を言っても私の言葉は誰にも受け止められる事はなく、ただ中空を少し舞ってから窒息死していく。
そんなものだと思いながら過ごしてきた時間の中で、私は相当に命を擦り減らしてしまった。
体や内臓、筋肉や骨も人一倍酷使したせいで二十代にもかかわらず多くの怪我と病に襲われてしまったのだ。
私の場合は生まれ持ったものが異質で、さらに成育歴がその異質さに磨きを掛けたのだろう。
好んで手に入れたものではない以上、好んで手放すことは出来ない「異質」さに振り回されてきた人生だと言っても良い。
それでも私は私が「異質」な人間だと思った事はないし、話せば大抵の場合は「そうだよね」と言われる事しか考えていない、話していないと思っている。
私は、私のようないわゆる「異質」な人間が生まれた事について何度も呪ったし、生まれた以上は七転八倒しながら生きるしかないのだと諦めていた。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありなのだ。
私は文芸によって救われた、文芸に触れ合う事ではなく自ら書くという道によって。
何度も反芻した夏目漱石の草枕の冒頭は、まさにこの事なのだと痛感したのだ。
少し長いけれど引用するのでぜひ見て欲しい。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
私は自分自身を尊いとは思わないが、私は私という人間の個性を拒絶しようとは思わない。
芸術の世界で生きていこうと思った事はなく、むしろ陰気で卑屈な変人だけが関わるものだと思っていた。
私は世界の広さを知らなかったのだ。
世の中にはありとあらゆる方向へ伸びている枝がある、道がある。
その枝の数は人の数だけあり、道の広さは通る人数によって決まる。
大きな道は大勢が通るいわば五街道のようなもの。
だからこそ、あの道はこうだ、あそこには何々があり、誰某がいると世間話が出来るのだ。
しかし、私や昨日会った彼女や薬学部の学生をしている筋肉好きの少年は、ほとんど人が通らない道しか目の前に広がっていない。
いわば獣道を歩くしかない、私たちは私たちの道を信じて、歩む方向が正しいかどうかすらも分からないところでそれでも自分を労わり、信用しなければいけない。
その分だけ、私たちはおそらく他の人よりも自分の世界が広くなっていく。
周りの意見に流されない、いや流されようと思っても流れる事が出来ない重量が、私たちの世界を広げ、獣道を歩く安定感を生むのかもしれない。
人と異なっている事は確かに不愉快な摩擦を私に与えるし、そんな風に生まれついた自分を今でも呪う時がある。
しかし、私にしか手を差し伸べられない人がいると感じる事もあるのだ。
大通りで困っている人を助ければ、多くの人から称賛されるだろうし、今の時代ならツイッターやインスタなどで取り上げられて一躍時の人になるかもしれない。
幸い私には己の善行を評価されたいという欲がない。
獣道で誰にも見えず、ただ静かに絶望している人に対して「異質」な私だからこそ、気付ける時がある。
これは私に限った話ではない。
世間から異質だという烙印を押された人間は、特に私と関わってくれるような人たちは往々にして人一倍に優しい。
世間で称賛されるような善行をアピールしてみたり、これ見よがしに善人を気取る事はなく、自分の内にある汚濁についても理解をしている。
自分が善人でも悪人でもどちらにでもすぐ転ぶという、人間そのものが持っている弱さを自覚しているからこそ、優しくなれるのかもしれない。
さて、何はともあれ私が考えている事はこのようなものなのだ。
これ以上脱線する前にやめておこう。