幼い頃、私はとにかく強くなりたかった。
誰にも負けない腕力、何があっても耐え抜く耐久力、艱難辛苦を乗り越える精神力。
強くなるためであればどんな犠牲でも払う覚悟があった。
こうした思いが生まれたのは、育った環境の影響が強かったように思う。
何はともあれ、私は望みの通り確かに強さを手に入れた。
その為に払った犠牲の数々に気付いた時には、もう遅かったのだ。
何本骨が折れたか分からない、一生抱える後遺症もある。
私は自分が払った犠牲の数々の対価が、あまりにもささやかなものであると絶望した。
力があればどうなるというのか。
人間として上等になれるとでも思っていたのだろうか。
私が求めていたものは穏やかな日々で、血潮飛び散る凄惨な毎日ではなかった。
それに気付いた時には満身創痍で明日を生きる事さえ難しいと思ってしまう、そんな状態だった。
私がそんな自分に気付いたのは、ちょうど高校生で今くらいの時期。
まだ地上には夏の湿気を帯びた温い空気が漂っているけれど、空には秋特有のハケで掃いたような薄く、繊細な雲が佇んでいた。
季節の変わり目が空から始まる事に気付いたのも、このくらいの時期だったように思う。
地上には私を含め、下らないものばかりが横溢していると気付き、雲と太陽、月くらいしか所有していない空ばかり眺めるようになった。
持っているものが少ない事が、どんなにか豊かな事であるのかを思い知ったのだ。
本当に大切なものを少しだけ持ち、それだけで事足りる状況、状態こそが幸福なのだろう。
小学生の頃、毎日のように夕焼けを見ていたバスケットコートに腰を下ろして、私はただじっと空を仰いでいた。
あの頃の私は、人生が斯くも辛酸と諦観、堕落に満ちたものだと知らなかったのだ。
時間は掛かるかもしれない。
それでもじっくりと、たゆまず歩み続ければきっと私はこの空のように、大切なものを少しだけ持ち、静かに生きていけるかもしれないと願っていた。
今は土石流のように暴走し続ける精神も、いつかきっと凪を迎えられるはずだと。
30歳を超えた今、私は確かに凪を経験している。
当時の自分の願いは、確かに叶えられた。
しかし、それにも代償はあるのだ。
背骨を折り、一生続く後遺症を抱えながら強さを手に入れたように。
誰かに期待せず、希望を持たず、穏やかな絶望感と厭世的な視点からしかあまねく空蝉を見る事ができなくなった。
それは精神的な死を既に迎え、あとは肉体の死が追いつくのを待っているだけのようにも思える。
私は生きていると言えるのだろうか?
とくに精神的に参っているわけではないので病院も薬も必要ない。
それでも私は生きているかどうかが定かではない。
生きている熊と熊のはく製では似て非なるものなのだ。
高校生の頃の私はそれを知らなかった。
それでも何となく分かる。
高校生の頃の私は、たとえこんな未来が待っていると分かっていても、きっとこの道を選んだはず。
当時は若さゆえに絶望したくないと思って生きていたから必死になれただけ。
絶望したくない、という思いは絶望しているからこそ生まれるもので、とっくに私の精神は壊死を始めていた。
ただ静かに、誰にも何の影響も与えず、私が生まれる前と死んだ後では何も変わらない、そんな毎日を過ごしたい。
その代償が何か分からないから、能天気にまた願いを持つのだろう。
過ちを繰り返す私のような人間には想像力が足りないのだ。