私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

遠野物語

遠野物語を読んでいると妖怪などの空想上のものが生まれる必然を感じてしまう

 

イタコが不具者のための仕事であったように、妖怪がいることにしてこの世の不条理を受け止めようと努力をしてきた人の軌跡にも思える

 

論理や証明がどうのという話ではなく「そういうもの」の影響にして耐え難い現実を何とか飲み込もうとしたのかもしれない

 

歴史的に見た日本人の死生観と西洋人の死生観は大きく異なる

 

日本人にとっての死は災害であり不可避であり無慈悲で対抗のしようがないものだった

 

西洋人の死は戦争などの人為的なものが多く、不可避で無慈悲だけれど人の仕業ならば対抗できた

 

日本人が悲しみを飲み込み、早く忘れようと数多の努力をしてきたのは死が対抗できない力によるものだからだ

 

西洋人の復讐心の強さは死を受け止められない不条理なものと捉えている側面があるから

 

 

良し悪しではなく、そのように西洋は歴史を歩み日本には日本の足跡が残った

 

悲しくても辛くても何とか飲み込もうとするいじらしく健気で切ない民族性

 

耐えきれない悲しみをそれでも受け止めようとした時、心の中にも異界が生まれる

 

そこ間隙に妖怪が生まれたのだろう

 

それを邪に利用する者がいたのも、その通りだろう

 

しかし、私には塗炭の苦しみから生まれたこのようなものを全否定できない

 

そこは理屈が通用する場所ではないのだから