関取花の声は良い。
明るい歌は好きになれないけれど、暗めの関取花の曲は本当に良い。
鬼束ちひろより泥臭く、自己愛の塩梅がちょうど良い。
明後日で辛かった連勤が終わる。
束の間、休息を取れる。
そして、また連勤がやってくる。
私は毎日、疲労困憊している。
今に始まった事ではない。
幼い頃からずっと。
寝る前にはもう指さえ動かしたくないと思うほど疲れ果てている。
だから、私にとって人生とは終わらない苦行でしかない。
人生を楽しく生きるために、という話がある。
理解はできる。
けれども、生まれた時から瓦礫だった場所を掃除して、私の人生は時間切れとなるらしい。
楽しむ暇はない。
しかし、誰かを羨む気にもならない。
人はそれぞれ世界を持っていて、私はこういう世界で生きているだけ。
魚を羨む気持ちがないのと同じで、世界が違えば嫉妬さえ生まれない。
人は誰しもが、もちろん私も含めて自己愛に焼き付けされる運命なのだ。
辛い、苦しい、悲しい、羨ましい。
ありとあらゆる感情は自己愛という土壌から育つ。
何気ない行動でさえ無意識の求愛だと知った時、私はあまりにも世界が汚泥にまみれている様が見えた。
その中を徘徊するのが人の人生ならば、人が生まれ苦しむ意味は何なのか。
やはり俗世は穢土なのだ。
救われぬ凡夫で満たされ、救われぬと知る以外に慰めなどない穢土。
それなのに私は今日も居場所が欲しいし、仮初でも良いから生きる意味が欲しい。
生きることがせめて苦痛だけで満たされないようにと、どうしても祈りたくなる。
何歳になろうとも、どんな立場であろうとも甘える対象が必要だから神や仏があるのだろう。
信じるか否かはどうでも良くて、人には優しい嘘が生きるために必要なのだ。