毎年、私は大晦日を楽しみにしている。
大晦日は人の気配が消えやすいのだ。
もちろん繁華街は違うけれど。
私は今日もいつもと変わらぬ一日を過ごし、日課のジョギングをしていた。
川沿いを走っていると車がほとんど走っていなかった。
私の呼吸音以外は全ての音がなく、風も吹いていなかったからか月明かりに照らされた植物まで造花のように現実味がなかった。
街は見える、灯りも点いている。
多摩川に掛かる橋もいつもと同じく巨大で、どことなく不穏な雰囲気を出している。
車が走らないだけで街は死ぬ、音が消える。
車が走らない街は、人も出歩いていない。
音が消える。
大晦日ほど私が常日頃どれほどの雑音に溺れているのか教えてくれる日はない。
走り疲れて少し歩きながら空を眺めていると流れ星が横切った。
大きな流れ星は消えた直後、光の煙のような靄を残す。
流れ星が大気に焼かれた音が聞こえてきそうな静寂。
私は、私が理想としている世界は大晦日の日にだけやって来る。
静かで寂しく、優しいけれど救いのない時間。
私がこんなにも私を感じられる日。
音が消える日。
流れ星の音が聞こえそうなほど。
世界中に私しかいないと、大晦日だけは錯覚させてくれる。
毎日がこうであったなら、私はどれほど救われるか。
私の呼吸音と流れ星の音だけを聞いて、満月の名残を持つ月明かりが明るすぎると微かに苛立つ夜。
幻のような時間はまた来年までやって来ない。
来年も流れ星の音を聞けるだろうか?