二十代後半からだったように思う
世の中があまりにもけたたましい場所に感じられるようになった
人の声も車の音も足音も宣伝もアナウンスも何もかもがやかましい
私は沈黙や間延びした空気が好きなのだ
本当に必要なこと、本当に大切なことは僅かしかない
大切にするべき僅かなものを慈しみ、静かに生きて行けば良いものを
言葉にすればするほど遠ざかる、大切なものが霧に包まれて妄想へと堕落する
あんなにも大切だと思えたものがいつしか虚飾のための装飾品に変わる
最悪なのはそのような装飾品にしている自覚もなく、時間の経過と共に、言葉数の多さと共に、人やものを所有物のように扱っていることなのだ
右を見ても左を見ても、見上げても見下しても、たとえ自分の内面に視線を向けても逃げ場なんてない
人は理性で生きておらず、ただ暴れ狂う感情をそれらしい体裁でまとめて小綺麗に虚勢を張っているだけなのだ
こんなことに嘆息を吐くのはもうやめにしておきたいけれど
どこへ行っても、何をしても精神の奥底まで雑音ばかりが響く
聞きたい言葉は、大切にしたいものは、いつも輪郭がぼやけてしまう
それを認めたくないから、私だけはせめて大切なものが何か見失っていないと思い込みたいから
私は私に言葉を浴びせかける
理屈を捏ねて、感情的になって
そうしてまた一つ雑音が増えていく