人は全身で生きている
当たり前なようで実はあまり気に留められることの少ない事実
例えばエロ親父の顔付きは誰もが大体想像できる
脂ぎった小太りの、頬に赤身が差した色黒のハゲだ
このようにして人の性格は顔に出る
だから、顔が最も分かりやすいのだが人は全身で生きているのだから他にも特徴がたくさんある
さっきの例で言えばエロ親父は骨太で毛深い傾向がある、という特徴はあまり注目されない
ヒステリーな人は普段から目に力が入ることが多いから、目力が人より強い
鬱の人は顔に血がうまく通っていないから色白なのではなく血の気が引いた青白い顔色をしている
大体、地爪に歪みがあったり薄くて割れやすい
普通に話しているのに肩に力が入っている人は驚きやすく、怖がりやすい
声がよく通る人は鬱より躁になりやすい
挙げればキリがないけれど、このようにして人は全身で自己表現をしながら生きている
本心を隠そうなんて土台無理な話なのだ
誰もが、意識もせずに自己の内面を垂れ流していきているのだから
誰にも悟られていない本当の自分がいるとすれば、それは自分の中にだけあるように感じる幻想や空想で、そこに逃げ込んでしまえば「本当の自分」があたかも在るかのように思える
しかし、そんなものはないから人に悟られないだけなのだ
こんなにも人が自己の内面を溢れるようにして表現しているのに、なぜなのか人の言葉だけが真実を語るもののように扱われている
もちろん、言葉によるコミュニケーションは効率的に情報を伝えるのに役立つ
便利なものだからこそ嘘や駆け引き、ごまかしや虚飾、欺瞞や偽善によって何年も風呂に入っていない人物のように悪臭紛々としている
言葉だけで人を知ろうとすれば必ずつまずく
人間不信にもなるだろうし、裏切りの痛みで自分の持つ病的な部分が触発、誘引されもするだろう
しかし、人が全身で生きているその事実に気付けば現し世がどれほどの雑音と虚飾に満ちたものなのかすぐわかる
世界はあまりにもけたたましく精神の鼓膜を突く
日常の中にこそ、淡く見逃しやすい微かな刺激の中にこそ幸福があると気付かせたくないかのように
穏やかに差す木漏れ日のように、幸福とは目の前にあり主張などしないものなのだ
楽しさや刺激、幸福を強調するのはそこに何もない証
在るものは主張せず、無いものばかりが強調される悲しさはいつまで続くのだろうか
また世界が淡い色と微かな音に満たされるのは、いつになるのだろうか
私は洪水のような音と精神を突き破る刺激に疲れ果ててしまったというのに