昔の日記を読んでいると何とも暗くひねくれたことを書いていたけれど、今でも大して変わりがないのでそんなものかと笑ってしまった
神様は乗り越えられない試練を与えないと言うけれど、乗り越えられない試練を与えられた人は死んでいるのだから生きてる奴は乗り越えられる程度の試練を運良く与えられただけだ、と毒づいていた
もちろん、そんなことは私にも当てはまっているのだから訳知り顔で偉そうなことを言っているだけなのだけれど
私は愛着を人や物に持つことが少ない
それはきっと過去を埋葬するのに疲れて、いつしかただその場に置き去りにするようになったからなのだと思う
そもそも過去なんてものはない
未来もない
あるのは現実だけと言うがそんなものさえない
幽玄な空蝉はあるようでなく、ないはずなのにある
例えば私は今スマホで文章を書いている
しかし、それは私が都合良く切り取った事実の一部であって現実はそれだけではないし、上の行を書いている現実は既に消え失せている
「あった」ことと「ある」ことは大きく異なる
そう思うと言葉は全て嘘だとわかる
大切なことは言葉にならず、真実は誰も口にすることができない
現実は真実はその場にいる人間だけが受けとる資格を持つ
解釈なんて挟み込む余地がない現実こそ本物なのだ
例えば心の底から感動した時、人間は解釈なんてしない
その場の空気と自分自身が融合していて、ただただ圧倒されるばかり
自我が消えるその地点にだけ本物があるし、それこそが現実なのだ
説明する言葉が見付からない瞬間にだけ
しかし、実際には伝えるために言葉を使うしかない
嘘しか言えないと分かっていながら、それでも少しでも理解したいしされたいから、悪戦苦闘をしながら言葉を使うしかない
私はそれが悲しい
本当に苦しい
受け止めたい相手がいても、受け止めて欲しい人がいても、私たちはどこまでも独りでいるしかないのだから
理解は救いのあるフィクション
それが私は悲しい
それでも生きるしかない