私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

優しい人

優しい、とはなんだろうか?

 

私は優しい人間ではないけれど優しいと言われる。

 

私がやっているのは相手の気持ちを言語化しているだけ、事実を再解釈しているだけ。

 

私が優しいのではなく世の中が、人が冷たい可能性は考えてはくれないのだろうか。

 

世の中が、人がどれほど冷酷なものか。

 

彼らにはあの阿鼻叫喚が、あの断末魔が、あの声が本当に聞こえていないのだろうか。

 

音を見る、というとスピリチュアルな話になるけれど、それはきっと誰でも今すぐにできること。

 

泣き腫らした目からはさっきまで嗚咽していた本人の声が見える。

 

人をちゃんと見ていれば悲しみは聞こえるし、叫びは見える。

 

私はこれ以上大切なものや人が掌から零れ落ちることに、私は耐えられない。

 

耐えられないから必死に人を見ているだけ。

 

生育歴も裏切りもPTSDも幼馴染みの自殺も身近な人間の死も、何もかもが私を頑なにさせた。

 

喪失の痛みは私を必死にさせた。

 

必死さと優しさはどこか通底するものがあるのかもしれない。