優しい、とはなんだろうか?
私は優しい人間ではないけれど優しいと言われる。
私がやっているのは相手の気持ちを言語化しているだけ、事実を再解釈しているだけ。
私が優しいのではなく世の中が、人が冷たい可能性は考えてはくれないのだろうか。
世の中が、人がどれほど冷酷なものか。
彼らにはあの阿鼻叫喚が、あの断末魔が、あの声が本当に聞こえていないのだろうか。
音を見る、というとスピリチュアルな話になるけれど、それはきっと誰でも今すぐにできること。
泣き腫らした目からはさっきまで嗚咽していた本人の声が見える。
人をちゃんと見ていれば悲しみは聞こえるし、叫びは見える。
私はこれ以上大切なものや人が掌から零れ落ちることに、私は耐えられない。
耐えられないから必死に人を見ているだけ。
生育歴も裏切りもPTSDも幼馴染みの自殺も身近な人間の死も、何もかもが私を頑なにさせた。
喪失の痛みは私を必死にさせた。
必死さと優しさはどこか通底するものがあるのかもしれない。