辛い最中、時折訪れていた場所へ最近なぜか足が向いてしまう。
穏やかで、橙の優しい灯りが広い道を照らしている。
歩く人たちは穏やかな雰囲気で、街路樹は敢えて座れるような作りの石の枠に囲われ、腰掛けて話す人たちを静かに見下ろしていた。
緩い風が吹くと葉音が優しく響き、生々しい傷痕を包み込んでくれたかのように思える。
私の左隣には14年前の私の生き写しのような人が虚空を見詰めて座っていた。
あの目になると世の中は色が褪せてしまう。
あの目に映るものはただただ現実味のない人と世界で、辛さも薄れる反面で感覚は鈍麻していく。
生きるということは、どうしてこんなにも辛苦に満ちているのだろうか。
生の実感が戻れば明るさや楽しさを一挙に飲み込む痛みが津波のように襲ってくる。
だから、感覚を鈍くする以外に生きる道はない。
しかし、それでは生きることが辛すぎる。
本来の自分が悲鳴を上げていると知りつつも、見ない振りを、知らない振りをできるかぎり続けるしかない。
近い将来、そのような努力は虚しく瓦解するとわかっていても。
それでも生きるのなら。
生きたいのなら。
まだ倒れるわけには行かないと、そう思うのなら。
限界に近い自分に鞭を振らなければならない。
生きるのは、生きるということは自傷でしかないのだろうか。
トラウマは、過去はこれからも私や彼女を縛り付け精神の肉に食い込み肉を割き続けるのだろうか。
この悲鳴は、この痛みはいつまで続くのだろうか。