私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

嘘が嫌いな嘘つき

私は昔から嘘が嫌いで。

 

それは嫌いという言葉では生温いほど。

 

憎むと言ってもまだ温い。

 

嘘はどうしてなのか、私の存在を否定しているようにさえ感じてしまうのだ。

 

理由は明確なのだけれど。

 

それほど嘘を毛嫌いする私が、嘘を仕事にしているというのは皮肉なものだ。

 

嘘を避けすぎると嘘にどっぷり浸かることになるなんて。

 

それなのに私は仕事が嫌ではない。

 

むしろ、この仕事に命を救われたようにさえ感じている。

 

嘘の世界は優しい。

 

醜悪なものを覆い、悲鳴を閉じ込め、痛みを隠す。

 

優しいけれど、それは蜃気楼で何もかもが現実味を持たず、あるべき体温が蒸発している。

 

優しく見えるその有り様さえ虚構。

 

それでも凍てつく現実よりは良いのかもしれない。

 

嘘から心を守るための人生を過ごす中で、私の心など守る価値がなかったと気付いた。

 

人生をかけて守ってきたものがガラクタだと気付いた時、人生はガラクタに変わる。