涙を流している人だけが泣いているわけではない
喉の内を伝う涙が、世の中にはある
15歳の頃だった
ちょうど今のように息が白く、星が綺麗に見える時期
受験対策の講座が終わり、塾から自転車を漕いでいるところだった
春から高校に行く
環境が変わる
高校を卒業すれば大学が待っていて、そのあとは就職をして大人になる
そんなの想像することさえ難しかった
今でさえこんなにも疲れているのに、あと何十年も人生が続くなんて考えたくなかった
自転車を漕いでいると冷気が頬を裂いていくようだった
さっきまで痛みを感じていた指先はもう感覚を失って、ゴムの塊のようになっている
暴力も怒声も金切り声も脅迫も何もかもに私の心は疲弊していた
その上、試験勉強に高校入学なんて変化を受け入れる余裕などない
限界だと、もう何も頑張れないと、小さくうずくまる私の前には常にやるべきことが山積していた
きっと、私が健康な状態なら泣き叫んで、暴れ狂っていたはず
疲れが極まると泣くことさえできなくなるのかと、妙に自分自身を俯瞰していた
私の人生はきっとこのように、叫びたくなるような苦痛と容赦ない冷気の中でペダルをこぎ続けるように続いていくのだと思った
涙が喉の内を伝うことがあるのだと、私はその時に知った
涙を流している人だけが、泣いているわけじゃない
人をよく見なければいけないと悟ったのも、その時だったのかもしれない
怒鳴っている人間が怒りを抱えているとは限らず、黙っている人が泣いていないとは限らない
そんな風に、深く人間を見なければ理解なんてできない
分かった気になっていたけれど、深く人を見る余裕なんてなかった
私は限界だった
ペダルを漕ぐ足に力が入る
寒さで耐えきれなくなった目から少し涙がにじみ、目じりを伝う
反射で涙はにじむのに、私の心に反応しない体が憎かった
どこかに救いがあって欲しい
こんな人生のどこかに、何か救いが
そんな風に、15歳の時にはもう思っていた