私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

書きかけの手紙

鬼束ちひろの「書きかけの手紙」を毎晩聴いている

 

「残りゆく痕にならないようにと」

 

その言葉がなぜか心に沁みてしまって、何度も聴いてしまう

 

残りゆく痕にならないようにと

 

良い言葉だ

 

悲しい言葉だ

 

どういうものが残りゆく痕になるのか知らなければ、このような言葉は出てこない

 

こんな風に深く傷付いた経験をそこはかとなく、それでいて確かに滲ませる表現をしたいものだ

 

傷を見せるわけではなく、喚くわけでもない

 

かつて血塗れだったはずの背中の傷痕が、風に煽られてはだけた服の隙間から垣間見えたような、そんな感覚

 

私の周りにいる、私が本当に好きな人たちはこうした雰囲気を出すのがとてもうまい

 

悲しそうに笑う人ばかり

 

涙の跡が消えない頬を見せないように笑う人ばかり

 

弱音を吐けず、堪えきることもできない

 

それでも明日もこの体は呼吸をして、生きようとする

 

できれば優しくしたいけれど

 

できることなら手を差し伸べたいけれど

 

掴んだ手がいつか離されるくらいならば、最初から握らない人ばかり

 

人の温もりですら焼け付く冷気の中で過ごした人間には、助けようと差し出される手さえ凶器になる

 

助けが必要なのにそれを得るにはさらなる代償が必要な現実

 

それがどんなに悲しいことか

 

それがどんなに救われないことか

 

助けを求める絶叫が誰にも届かなかった経験をした人間はやがて沈黙し、人を憎み世を呪う

 

だから、私たちのような人間は人に対して背中を向ける

 

直視できないから

 

中合わせで人と接するようになる

 

本当は抱き締めたいのに

 

本当は抱き締められたいのに

 

そうできない臆病な私たちは、背中で人を感じるしかない

 

離れる苦痛を少しでも和らげながら、それでも人を感じるために

 

残りゆく痕にならないように生きるというのは、きっとそういうことなのだ