本当はキーボードで書きたいけれど、もうパソコンの電源を落としてしまったのでスマホから更新するしかない。
今日は、というか最近は妙に自分の言葉を書きたくなってこのブログを更新してしまう。
きっと、それだけ不安定なのだろう。
不安定ついでに昔の事を少し。
助けて欲しいと思った時に助けは来ないと分かってから、私は何年も厭世的で世の中を呪いながら生きていたように思う。
しかし、小学生だった私には極端な方法しか思い付かず、それに加えて臆病者なので家族の寝静まる部屋の前でただ刃物を持って佇むのが限界だった。
私は自分を助ける事すら能わない人間なのだと思うと、どこまでも自分を情けないものだと卑下するしかなかった。
あの時、私が家族を殺していたら憐れな少年として生きていくしかなかったのかもしれない。
私の体に今でも残る傷は気圧の変化や季節の変わり目になると小さく疼く。
『やっておけば良かったのに』
『いや、何もしなくて良かったんだよ』
どちらの声もその微かな疼きから感じられる。
最近妙にブログを更新しているのはきっと季節の変わり目にこの台風が重なったせい。
私が耳を塞ぎ、閉じ込めている暗い地獄の蓋が少し外れている。
しかし、以前のようにそのまま精神が崩れ落ちていくようなことはない。
13歳で首を吊った同級生を羨む事も、もうない。
私は私の中に地獄を内包しているけれど、誰にだってその場所はある。
そうやって生き抜いてきた人間ばかり。
私は人間を心の底から侮蔑しているけれど、それと同じくらい愛おしい。
以前、私が社会や人間に対する恨み骨髄を吐露した相手がいた。
その人は悲しそうに笑ってから
『悪い人なんて本当はいなくて、傷付いた人がいるだけなんだよ』
と言っていた。
傷を負い、もうこれ以上痛みに襲われないように庇っている内に歪んでしまったのだ、というのがその人の話だった。
傷を負った人ばかりによって作られるこの世は、やはり地獄なのだろう。
穢土はやはり存在したのだ、ここに。
そう思うようになってから、私は私の地獄を受け入れる事ができた。
もちろん、今でもに振り回されるし、今でもタイミングさえあれば自宅前の自販機へ向かうような気持ちであちら側へ行くかもしれない。
私は生きているのだろうか?
私は今でも私が何か分からない。
私はきっと私を知らないまま瞑目する時を迎える。
初恋や青春時代に起きる精神の激しい衝動が、清純や純情ではなく単なる性欲の仕業だと分かった時から、たぶん私は私をやめた。