育ちの良い大正ロマンと勝手に銘々している関取花を聞きながらの日記。
私は図太くなったようで落ち込みが長続きしない。
強くなったと言うよりも、昔より戦わなくて良いところを見付けるのがうまくなったらしい。
対策を立てたらあとは開き直るだけで良い。
ここ数日間は俗世に浸っていられたように思う。
人と同じようなことで悩み、話せば誰もが共感をしてくれるような、そんな世界に数日だけ踏み込んでいた。
居心地の悪さと人から理解される馴染みのなさも相俟って落ち着かなかった。
しかし、人からすぐに説明もそれほどせず理解してもらえる事はありがたい。
そもそも多くの人はそういう世界にいて、私は遠巻きに世間を見ている事が多い。
少しだけ世間様の仲間に入ると、そこから離れる不安も分かった気がした。
理解される居心地の良さ、1人で重圧を抱えなくて良い頼もしさ。
それを手放すのは確かに辛いはず。
しかし、私はお邪魔しただけなので、すぐに1人の世界に帰ってきた。
数日お邪魔するには世間様はとても居心地が良かったけれど長居はできない。
私は人のゴシップが大嫌いで、人からの評価を捨ててでも好き勝手やりたい人間なのだ。
理解されやすい世界は、誤解に満ち満ちている。
憶測、思い込み、偏見、無理解が洪水のような濁流となりそれぞれの人を飲み込んでいく。
私はそんな場所にいるくらいならずっと一人で良い。
私が聞き、感じ、触れた僅かなものを大切にしたい。
手の届かない場所にある誰かや何かに、せめて私の手垢を着けないように。
私は手の届く人しか大切にできないのだから、手の届かない人やものを汚すわけにはいかない。
きっと、手の届かない人やものも誰かにとって大切なのだから。
大切にできなくても傷は付けたくない。