鉛を飲む
一秒生きれば、一粒の鉛が胃の底に溶けていく
少しずつ、少しずつ
昨日よりも少し重い背筋を伸ばし
昨日よりも少し浅い呼吸で
昨日よりも少し俯いて
それでも昨日と同じだと言い聞かせて
僅かに、確かに重くなっている足を引きずり
暗く歪み、まどろむように溶けていく視界を頼りに
まだ今日は続く
いつ今日は終わるのか
また明日は少し重く、苦しく、暗くなるとわかっているのに
まだ生きているつもりなのか
鉛を飲む
一秒生きれば、一粒の鉛が胃の底に溶けていく
少しずつ、少しずつ
昨日よりも少し重い背筋を伸ばし
昨日よりも少し浅い呼吸で
昨日よりも少し俯いて
それでも昨日と同じだと言い聞かせて
僅かに、確かに重くなっている足を引きずり
暗く歪み、まどろむように溶けていく視界を頼りに
まだ今日は続く
いつ今日は終わるのか
また明日は少し重く、苦しく、暗くなるとわかっているのに
まだ生きているつもりなのか
傷口が開く感覚がした
本当に傷口が開いたのか
それとも元々開いていたことに気付かされただけなのか
どちらにせよ、粗い紙ヤスリで傷口を擦られた感覚がある
疲れた日には戻ってしまう
あの頃に
結局は傷は傷のまま
治ることを知らないまま
治りかけると自分で開いているのだから当然
こういうものと付き合っていくのは苦しい
だから、芸術の世界で生きるしかない
世俗が嫌いなくせに世俗的な自分から目を逸らすには、何か美しいものを産まなければ耐えられない
及ばなくても良い
本当に美しいものがあるとわかればそれで
手を伸ばしても届かないと知っていたらと
後悔するくらいが良い
久しぶりに日との心の中にある深淵に触れて、生きることはなんて苦しいものなのかと思わざるを得なかった。
たった4歳の子供が力の限りに荒れ狂う成人男性の暴力の前で、一体何ができたと言うのだろう。
「いつも笑って話せるくらいなのに」
そう言いながら溢れる涙を止められず、ただ混乱の最中にあった
恐怖と形容するしかないけれど、その経験によって精神の核になる部分が著しく傷付いたことが明らかで、成人をして結婚を控えた今でも堰を切るように溢れる涙が止まらない
それにも関わらず「私たち」は生きるしかない。
少なくとも生きている間は。
少なくとも今から数年は乗り越えるために時間が必要だろう。
生きるために背負ったはずのものに圧死させられる前に手立てが必要なのだから
死なないために命を削る必要があるのだ
丁寧に、時間を掛けて自分のケアをするしかない
これまで与えられなかった慈しみや愛情を、自分の手で与える
干上がり、深くひび割れた土に水を一滴ずつ与えて潤すような気の遠くなる作業だ
耐えられるのかは「私たち」にはわからない
シャボン玉の握り方を知っている人はいない
握るのならシャボン玉は消えてしまう
繊細で儚くて、今にも壊れてしまいそうなものと触れ合う時がある
そんな時、シャボン玉の握り方を考える
壊さないように、それでもしっかりと触れ合えるように
そこにしか生まれない言葉がある
そこにしか聞こえない声がある
グロテスクで粘着質で悪臭がする場所、人
正解が間違える場所
真っ当が歪む人
やはり空蝉はわからない
山積する疑問の答えなんて見当たらず
穏やかな振りをして時間は全てを薙ぎ倒す
背中の痛み
浅い呼吸
突き刺すような耳鳴り
悲しい記憶
忘れてしまう大切な風景
大切なものほど手の平から零れ落ちる
掴むつもりのないものばかり残る
大人はなんて寂しい生き物なのだろう
飛び散った肉を見えないように虚飾しただけだ
剥き出しの骨を金だのステータスだので覆っただけだ
自分自身が目も当てられないものに堕落したことを隠す術ばかり長けていく
いつまで「これ」は続くのだろう
いつまで
せめて穏やかに生きたいと願ったのが、遠い昔の話に思える
平穏なんて幻想
この体を引きずって歩くことに疲れてしまったんだ
代償を払わなければ生きていけない
これ以上何を差し出す?
何を
私は人目があまり気にならない
気にならなくなった
人生の中で迷いあぐねていた時、周りの人間からの言葉が助けになったことがほとんどなかった
私の悩みは自力で乗り越えるしかないのだと、何度も何度も骨の髄に叩き込まれるような経験が積み重なると、人目を気にする感覚が消え失せてしまった
誰も助けてなどくれない
誰も理解などしてくれない
そうであれば私の方から周りを気にかける必要もない
私の人生は獣道のようなもので、大通りを歩く人たちとは進み方も、速度も何もかもが違う
良し悪しではなくて、ただ違いがあるということだけ
共感できる部分も、される部分もこれほど少ないのならば相手からどう思われようと構わない
私は私の人生を全うするし、みんなそれぞれ人生を歩めば良い
そんな風に思って生きているからなのか、人目を気にしながら生きている人が傍にいると驚いてしまう
先日、親しくしている友人がタトゥーを入れている人間に対して「バカがバカを重ねる行為」だと言っていた
その友人は私と全く違い、空気を読んで人目を気にして生きている
そういうタイプから見ると、悪目立ちする行為を自らやるのが理解できないのだろう
あまりにも友人然としていて笑ってしまった
もちろん「お前のことじゃない」と一言添えてくれたけれど
人目を気にしない私と、人目をとても気にする友人が仲良くしているのがとても不思議で心地良い
世界観によって価値観が決まる
私は悩み悶えながら生きてきたし、これからもそうなのだろうけれど、友人には友人の懊悩がある
こういう人間のお陰で私は偏った視野から解放されるのだろう
久しぶりに好きなラーメン屋へ行った
バイクを走らせていると冷気が袖の隙間を切り裂くように撫でていく
穏やかでな外灯が柔らかいのか、不気味なのかよくわからない橙の灯りを道路に落としていた
本当に東京なのかと思うほど長閑で人気のない道
何年もこの道を使ってきたけれど、もうそろそろ通らなくなる
今年の間に東京らしい場所へ行く
雑多で混沌としていて、どこへ行っても人の気配から逃れられない場所へ
「ここも東京なのにね」
幼い頃から何度口にしたかわからない言葉
山より大きなものがなく、黙ると風に揺れる葉音と川のせせらぎが微かに聞こえる場所
ある程度は転々としたものの、私は長閑な場所でしか生きてこなかった
「ここも東京なのにね」なんて言えなくなる
広い川辺でココアを片手にタバコを吸うこともなくなる
山の中で桜吹雪に吹かれることも、きっともうない
そんなものなのかもしれない
否応もなく選択を迫られ、必死に生きている間に私は幼い頃から毛嫌いしていたところへ向かっている
現実は理想を殺す
生きるためには、糧を得るためには生温い理想や情操に鉄槌を下さなければならない
甘くない人生を生きるしかないのなら、何かを失うことに慣れるしかない
私はこんな風になりたかったのだろうか?