眠れない夜はいつもの事なのになぜ今日はこんなに気持ちが波立つのだろう。ふと思い出す人たちはどうでもいい人ばかり。
— 朔太郎 (@sakutaro_551) 2020年1月18日
死に際の走馬灯もこんなものなんだろう。
最近まで私は13の理由というネトフリだけで配信されている海外ドラマに没頭していた。
シーズン3まで見て間延び感が否めず、今は惰性で眺めているけれど。
ハンナという美しい女子高生が自殺したところから始まるドラマ。
そして、彼女は時流に逆らい13枚のカセットテープに自殺の理由を録音し、残した。
それをハンナと両思いにもかかわらず、キスさえ出来なかった同級生が聞くという話。
ドラマは冗長なものかと思ったけれど、アメリカでは模倣自殺まで起きるほどの人気を博しただけあって、その内容は非常に切れ味が鋭いものだった。
特にシーズン1はまさに芸術作品だと喝采したくなる暗澹たる内容で、誰もが経験したことがあるのに忘れたがる青年期の苦々しさを描いていたように思う。
私はこのドラマを忘れることはできない。
特にシーズン1は私に突き刺さる何かを感じた。
そう思う人間が多いからこそ、社会現象になったのだろう。
残された者の悲しみは想像すら能わず、自殺した彼女の苦しみが彼らの日常を海底へ引きずり込んだかのような重圧に晒す。
先にいく者と残された者、どちらがつらいのだろう? なんて陳腐な事を思わず考えてしまった。
かつて、一歩間違えれば私は先に行く者になっていた。 幸い、私は生きている。
実家で私が使っていた部屋には、昏睡していた私に施した処置に使用した薬などが記された紙がある。
私は覚えていないけれど、こういうものに命を救われたのだ。
あの紙を見る度に、私は昏睡して覚えていないにもかかわらず理性を失うほど狼狽した。
あの紙は24歳の私を救うために使われたものが記されている。
あの紙は24歳までの人生が行き着いた終着地のようなものだ。
私の愚かしく、おぞましい人生が行き着いた先に何が待っていたのかを示している。
あの紙を見る度に、思い出すごとに私はあの時、精神の一部を殺したのだと自覚する。
あれから私は明らかに人間が変わった。
残される者の気持ちなど一切考えない利己的な私は、あの時を乗り越えてまだ息をしている。
失った私を取り戻したいとは思わない。
むしろ、もう少し広範囲に精神が壊死でもしてくれて良かった。
私は今日も正気のまま、こうして朝日が上るまで眠れずに待つしかないのだ。
ダブルベッドに一人寝転び、手足を伸ばせるだけでも私は上等な人生を生きている。
あの狭い部屋で、うずくまり寝ていた日々を思えば今は天国にいるようなものなのだ。
もうスマホを手放そう。
もう、十分書いた。