最近は台風が多く、そのせいで不眠症に拍車が掛かっている。
不眠が続くと死が近付いてきているのを実感する。
こうやって少しずつ死を意識する日が増えていき、ある日私の心臓が止まるのだろう。
心が弱ると嫌な事を思い出すもので、私が死を間近に感じていた日々がよく脳裏を過ぎる。
血の匂い、埃っぽい部屋、焼けるように下る夕日、重量感のある金属製の扉の音。
あれは本当に私の人生に起きた事なのだろうか?
あれは本当に私の記憶なのだろうか?
よく私は悟っているとか、落ち着いているとか言われる事がある。
そうではなく、ただ私は生きている実感を得られないだけなのかもしれない。
どんなに失敗をしたとしても、人生は首を吊れば終わる。
人生は悲しい。
生きるのは空しい。
それでも生きているのはなぜだろう?
もっと破滅的な生き方をすればその場しのぎにはなるのだろう。
そんな生き方に私は疲れてしまった。
今はただ穏やかに、静かに毎日が過ぎていくのを祈るばかり。
諦観の極地にいるような心持ちなのに、私の毎日は充実しているように思われる事が多い。
やる事があり、目標があり、精力的に過ごしているから。
そうではないのだ。
人生に恐れるものなど本来はない。
私の命にそれほどの価値はないのだ。
だから、私は気軽にリスクを取る。
全て失ったところで、またあそこからやり直せば良いだけなのだから。
それなのに私の毎日から、人生から生きる実感が蒸発していく。
私としてはもう精神的に何度も死んだように感じてるから、あと一度死ぬかどうかはそれほどの問題ではないのだ。
もちろん、ゼロからやり直すのは面倒。
面倒でも出来ない事ではない。
そうやって生きていけるのは、体に体力が残されている間だけ。
私の肉体は日々劣化していく、弱体化する。
これに耐えきれなくなったら心臓が止まる。
それだけの話。
生きている間に、あと何人の素晴らしい人と出会えるだろう?
私の周りには溢れんばかりの魅力を持っている人たちがいる。
今、私と仲良くしてくれている人の誰もが個性をこれでもかと顕現させている。
そんな人たちと出会えただけでも、私の人生は儲けものだ。
きっとこうした気持ちなら生まれた事もそれほど悪くなかったと思って死ねるのだろう。