またまたスマホからの更新になる。
今日は深夜の一時半に酔った恋人とその幼馴染みが我が家にやって来た。
それからさっきまであれやこれやと話していたのだけれど、幼馴染みは今日花火を男と見に行くのだとか。
私には異性に対してそこまで労力を払う事がよく分からないけれど、やはり結婚したいということならば真剣勝負なのだろう。
今、隣室で恋人とその幼馴染みが寝息を立てているのだが、うまくいくといいな、と何となく思っている。
さて、寝ようかと五時前に自室へ帰ると彼女が泣きながら部屋にやって来た。
泣いている理由はどうして同じ部屋で寝てくれないのか、という事らしい。
私は不眠症で寝る時は必ず一人でなければ無理なのだ。
しかし、恋人としては同じ部屋が良いらしく泣いていた。
おそらく、私は目が覚めている間は常に何かしらの演技をしているのだろう。
だから、寝るという最も無防備な状態になるには誰もいない方が良い。
時折、私は自分の中に複数の自己が厳然と存在するのを感じる。
文章を書く時、空手をしている時、祭りをやっている時、勉強や読書をしている時、誰かと話をしている時。
それぞれの自分が同じ人間には思えないのだ。
私ですらそうなのだから、私以外の人間から見ると私が理解不能な人物であるのは当然だろう。
幅が広いと言えば響きは良いが、混乱を極めているというのが素直な実感である。
私は一体誰なのだろう?
私とは、そもそも何なのだろう?
無という人もいるし、私は場所の名前だという人もいる。
私は、私の事が分からないとしか言えない。
突き詰めると『存在』としか言えない、この私。
今日も私は茫漠とした掴み所のない私として、1日を生きたのだ。
生まれてから死ぬまで、私は永久に理解できない私と共にある。
不思議な話だ。