思っていることをそのまま出すと、あまりにも暗すぎるから普段は言わないだけで、思っていることなんて大して変わっていない。
口に出す回数が少なくなれば元気そうだと言われ、多くなれば心配だと言われるけれど、私はいつでも私のままだし、昨日と今日で大差ない。
不眠症で自殺願望はないにしてもそれほど生に執着はなく、いつでも厭世的なのが私なのだ。
明るい世界に連れていってあげるとか、支えになれない自分が嫌だと言われても、私にはどうすれば良いのか分からない。
明るい世界は暗い世界より上等なのだろうか?
支えになっている実感があれば、それが仮初でも良いのだろうか?
支えになりたいと泣かれる事が、支えを出来るだけ排除してきた私にとっては苦痛になる時がある。
自力で障害を乗り越えてきた自負がある私には、支えられる状態が依存していたり、甘えているように感じられるからだ。
もちろん、そんなことはない。
支えられる事は、誰かの力を借りる事は、実は私の力とも言える。
助けてくれる人がいる私の人望だと言えるし、助けられる価値があると相手方が判断した証でもある。
だから、支えられる事には価値がある、それは分かっているのだ。
しかし、私には支えると言っている相手が支えたという理由で、自分の期待を押し付けてくる展開がよく見える。
結局のところ、自分の願望を遠回しに実現するために支えると口にしているだけなのだ。
もちろん、全員がそうではない。
しかし、私はもう誰かの期待に振り回されるのは疲れてしまったのだ。
支えられなくても構わないから、私を人からの期待から解放してほしい。
苔のように、無味無臭の存在になりたい。