私のような育ち方をしてしまったのなら、正義感や誠実さ、真善美を求めるような性質など欲しくはなかった。
人を傷つける事にそれほどの罪悪感がなく、誰を利用しても涼しい顔をしていられる人間ならば、きっとこんなことにはなっていないだろう。
私は汚濁の中で育ち、無駄に高い道徳心によって引き裂かれるような痛みと共に生きるしかない。
詳細は後日書くけれど、私は今かなり弱っているのだと思う。
日常生活に支障が出るほど過去に振り回されているわけではないつもりが、少し真面目に過去と向き合うと精神が磨耗し、熱を出したり体が動かなくなる。
闘病が終わってすらも、過去は私を手放してはくれない。
生まれてからこの方、このような苦労や心痛から逃れられた事がない。
きっと私は疲れている、疲れ果てているのだ。
昔に戻ったかのように、私の精神が悲鳴をあげている。
ともすると、これは過去の断末魔かもしれない。
最後の抵抗をしているら可能性もある。
人生で初めてまともにカウンセリングを受けているのだから、こうした反応が出るのは当然なのだろう。
それほど私の精神は磨耗し、憔悴していたらしい。
私は家族を恨む。
私は望んで生まれたわけではなく、ただの不運によってあの親の下で、あの兄弟と共に育ったのだ。
いつになったら終わるのか分からない苦痛は、しばらくの休眠から覚めたらしい。
これが最後の抵抗になることを祈るばかりだ。
何度もあるのなら、私の精神が耐えきれない。
私は過去から自分を救ってみせるつもりだ。
その経験が同じような道を歩む仲間にとって、必ず役立つものになるだろうから。
今はただじっと、過去と向き合う時間を持とう。
そうするしかない。