今日は仕事がないのでしっかりと受験勉強をしようと思っていたのに、低気圧のせいですべての計画が狂ってしまった。
低気圧がやって来ると頭痛が酷くなり、どうしても勉強に集中出来ない。
集中していくと時間を忘れられるのだけれど、こういう日は5分経つのが苦痛で仕方ない。
困ったものである。
しかし、嘆いていても何も始まらないので、指の体操を兼ねてブログを更新する事にした。
私が哲学に没頭するようになったのは、今から六年ほど前の事だ。
大学生の頃には哲学というよりも心理学ばかりやっていて、哲学にのめり込んでいたとは言えない。
私が初めて読んだ哲学に関する本は「ソクラテスの弁明」という薄い、定価でも200円程度の薄いものだった。
内容は古代ギリシャでソクラテスが青年を惑わした罪人として法廷に立ち、そこで完璧な論理を使い自らを弁護したにもかかわらず、死刑判決を下された時の様子を記したもの。
あの本の中で主張されていた非常に重要で、非常に素朴なソクラテスの意見とは、Aについて知っている人の方が、Aについて知らない100人よりもAについて正しい意見を持ち、行動が取れるという事だった。
Aにはたとえば青年が当てはまるだろうし、薬学、血を抜いてくれる整体、伝統芸能、ピアノ、執筆を入れてみても良いだろう。
私は薬学部に通っている友人よりも伝統芸能に詳しいけれど、薬学については明らかに彼女の方が詳しい。
だから、伝統芸能ならば私の方が正しい知識を持ち、行動が取れると考えて間違いないし、薬学ならば彼女の方が正しいのだ。
ソクラテスは素朴だけれど、とても大切なこのことを主張して陶片裁判によって死刑を下された。
悪法も法なりとして、ソクラテスは逃げ出せた状況にもかかわらず、毒を煽り生涯を終えたのだ。
ソクラテスにとって肉体とは魂の牢獄であり、彼は死を待ち侘びていたらしい。
魂は純粋に善なるものを志向しているのにもかかわらず、肉体には食欲、性欲、名誉欲などの欲望がすぐ宿り、それに翻弄されてしまう。
善へと向かう魂は、欲へと向かう肉体という牢獄に閉じ込められているのだから、そこから解放されるのは喜びなのだと本気で信じていたそうだ。
これはソクラテス独自の発想ではなく、ピタゴラスの定理で有名なピタゴラスが、自ら創設した教団の中で主張していたものを踏襲したものらしい。
私はソクラテスの弁明を読んだその時から、哲学の虜になってしまったのだ。
何という雄々しき生き様だろう、と感動したし、善なるものを求め続ける気高さのようなものを、あの本から感じ取っていた。
当時、どれほど大人数から否定されようとも、2500年以上も世界中の人から敬愛されるほど、十分な魅力を持っていた人物こそ、ソクラテスだったのだ。
生死、善悪、美醜、真偽という全ての物事の基盤となっているものが何かを突き止めようとする試みこそ、哲学の醍醐味であり、さらにそこに納得出来る答えなどないという事実も既に分かっている。
それでも私は生死について考えてしまうし、それを止めようとも思えない。
気になって仕方がないのだ。
私はなぜ生まれ、なぜいつかは死ぬと分かっているくせに生きようと思っているのか、その理由が気になって仕方がない。
私は人生そのものが仄暗く、陰気なものだと考えている。
以前ならすぐにでも死んでやりたいと思っていたけれど、今はそう思わない。
しかし、私の目に見えるものは相も変わらず霞が掛かっている、判然としない。
その割に諦めきっているというわけでもなく、好機とみれば行動を起こしている時もある。
私は人生の中にある濁流に飲まれ、それに翻弄されているのかもしれない。
時に流れをうまく掴んで、上手に泳いでいるように見える時もある。
しかし、それは結局のところ吉野弘が言ったように、落下しているのに飛翔していると信じている状態に過ぎない。
人はこれでもかと堕落を続ける人生を歩むしか、生きる道を用意されていないのだ。
そんな人生に何の意味があると厭世的になるのだけれど、それならばなぜ私は努力を続けているのだろうか?
勉強も運動も稽古も、おそらく人並み以上にやっている。
人生が汚濁に塗れ、手に入れたものを全て失う結果になると分かっているのに、なぜこうした努力をしているのだろうか。
最後に大好きな詩を載せておこうと思う。
ドラッガーが晩年にしたためたものらしい。
「もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう
。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。」