お題スロットなるものを発見して、遊び半分でクリックしていると昭和という単語が出て来た。
純昭和生まれ最後の世代が、私の世代だ。
私の一つ下の代からは63,64、平成元年生まれがいる。
昭和から平成の移り変わりなんて、ほとんど平成の時代で生きている私には分からない。
私たちの世代は小学生の頃に携帯を持っている人なんて、ほとんどいなかった。
auはなくIdoだったし、ソフトバンクはJ-phoneだった。
小学生の頃、インターネットはまだ接続時間で料金が増えるような、今から考えるとあり得ない時代があった。
中学二年生の頃、16和音の着信音が出る携帯を買った同級生をみんなで羨ましがったし、無意味に友達の携帯を鳴らして光るアンテナを見て喜んでいた。
ちょうどインターネットが普及し始めた頃、私は中学生で夜更かししながらパソコンにかじりついていた記憶がある。
好きな番組を応援する個人が運営しているサイトに入りびたり、そこのチャットでブラインドタッチを覚えた。
死にたい、と思う人が多い事を知ったのは、この頃だったと思う。
私はようやく自分の居場所を見つけたような気持ちになって、どんどんインターネットにのめり込んでいったけれど、結局私の居場所なんて架空のものだと気付いていたような気がする。
どれほどチャットをしても、どれほどインターネットの世界を徘徊しても、画面から離れた瞬間に激しい虚しさが訪れた。
ヤマンバギャルもいたし、センターGUYとかいう不思議な男たちもいた時代。
ちょうど幼少期にはインターネットが身近になくて、中学生くらいから凄い速度で世界が変わっていった世代が、私の世代。
思春期独特の虚しさをインターネットで埋める人が、あまり多くなかった時代。
私たちより5歳も下になると、世界観が全く違う。
私たちより5歳も上になると、世界観が全く違う。
私たちは思春期という人生の中でも、その後に対する影響が大きな思春期に、インターネットが社会を侵食していく様を見ていたし、自分たちもその流れに飲まれていた。
今では考えられない事だけれど、ブログをやっているなんて誰にも言えない根暗な趣味だと思われていた。
それなのに、みんながみんなブログを隠れてやっていて、そんな風にしか本音を言えない自分を責めていた。
私たちはなぜか自分たちを責めるのが好きだったけれど、開き直れるほど社会はネットに寛容ではなかった。
今から考えると過渡期だったのだろう。
昭和が平成に変わり、ネットが奔流になるまでの。
昭和最後の世代は、不思議な時代を生きたのだと思う。