今月は嫌いなタイプの人に出会う事が本当に多くて、ただただ疲れるだけの一ヶ月だった。
これまで人を避けて仕事を選んだし、過ごし方も出来る限り選んできた。
仕事は一人でするだけで済む。
やっている事もほとんど一人で出来る事。
これ以上人を嫌いにならないためには、出来るだけ人と出会わない方が良いのだと思ってきたのに、何の因果なのか出会いが多くなっている。
人との出会いは素晴らしい、なんて大嘘だ。
自分が心の底から信頼出来る人の数と、これまで出会ってきた人間の数を比較してみれば良い。
そうすれば、どれほど人との出会いによって傷付き、疲労し、絶望してきたのかが分かるはずだ。
綺麗事はみんな好きなのに、実際にやるとなると全く別の事をしている。
人との出会いが大切だと喧しく主張する人間が、どれほど人の陰口を叩き、足を引いているのか知っている。
本当に自分の名誉も地位も金も捨てて、誰かのために動ける人間なんてどこにもいないのに、何よりも大切なものが人だと宣うのはブラックジョークにでしかない。
及ばなくても良い、本当に美しいものがこの世にあると分かりさえすれば、それで良いと言った八木重吉がどれほどの絶望感を抱いていたのか、分かるような気がする。
大人になればなるほど金に全てが浸食されていくらしい。
表情も目付きも言葉も何もかもが、本当に何もかもが金を中心にして回っている。
貧すれば鈍するのは事実だけれど、死なない程度に稼いで質素に暮らす事でなぜ満足出来ないのか。
なぜ欲望を膨らませる事が善だと、そう思えるのだろう。
現世で手に入れたものなんて、全て捨てて死んでいくのに。
現世はただ虚しいだけの場所で、その中でごく稀に良い人がいて、その良い人も満身創痍になっている。
この世は生き辛い、どこまでも、何歳になっても、いつまでも。
嘘を吐くなと怒るのは当然だと理解されているのに、自分が嘘を吐いている自覚なんてまるで持っていない。
そんな奴らが信用が大事、信頼が重要と言うのだから、何のことなのか皆目理解出来ない。
なぜすぐに言葉遊びを始めてしまうのか。
なぜすぐに自己肯定してくれるものばかりにすり寄るのか。
なぜすぐに誰かの足を引けるのか。
見詰めるべきものは外にもあるけれど、それと同じくらい内側にあるのだという事実をなぜ無視できるのか。
おかしい事におかしいと言うのは自然な事で、間違っているものはどう言い繕っても、何人が賛同しても、間違っているという事実は変わらないはずなのに。
素朴な事しか言っていないのに、口では分かる分かると異口同音になるくせに、なぜ行動が伴っていないのか。
行動で嘘を吐く事は出来ない。
儲かる商売を勧めて来る奴が、自分の金を叩いて何かやろうとしているのを見た事がない。
どこからか金を集めて運用しようとしている。
儲かっているのなら、自分で細々と続けていけばそれで良いはずなのに、なぜ金を集めようと企むのか。
行動では嘘が吐けない。
言行一致、知行合一。
こういう単純な事がどうして……。
やっぱり私は生きるのに向いていない。
嘘吐きを信用なんてできない。
嘘ばかりで作られた砂上楼閣こそ、私が生きている現実なのだ。