私の目に見えるもの。
ブログのタイトルを決めるのに、それほど時間は掛からなかった。
私の目に見えるもの。
私の目に見えるものを、本当に他の人も見えているのだろうか?
笑っていないのに、笑顔だと思われたい人の顔が見えているのだろうか?
涙が流れないほどに悲しんでいるのに、泣かないなんて冷徹な奴だと言われている人の顔が見えているのだろうか?
私の目に見えているものだけではない。
私の耳に、肌に、心に感じるものを、他の人も感じているのだろうか?
私は変わり者だと言われる事が多いけれど、話してみるとほとんどの人が納得してくれる。
その目は全く納得していないけれど。
困っている人は助けなければと言うけれど、助けようとする人のいかに少ない事か。
友人や恋人を裏切るなんて最低と言いつつ、平気で傷付ける人間のいかに多い事か。
この世は辛く、苦しい。
生きる事は難しく、悲しい。
生きる事は良い事だと言われないのに、死ぬ事は、とりわけ自殺は悪い事だと言われている。
善の反対に悪があるのなら、生は善でなければおかしい。
そういう人間に限って、自分が辛い立場に立たされそうな時、生贄を喜んで捧げる。
自分よりも出来が悪く、批判されやすい人間をそっと用意する。
身近な人を大切に、とよく耳にするけれど、最もグロテスクな出来事は大抵、身近なところから起きる。
家族を大切に、と言うけれど、最も強い憎しみが生まれるのは濃密な人間関係からしかあり得ない。
家族を大切にする事が誰にとっても良い事ならば、わざわざそんな言葉が喧伝されない。
お腹が空いたら食べましょう、眠くなったら眠りましょう、なんて誰も言わないじゃないか。
当然の事、必要な事は言葉にされない、宣伝されない性質を持っている。
それならば、なぜ家族を大切にしようと喧伝されるのか、その理由が炙り出されてくるじゃないか。
家族こそ最も強い恨みや憎しみを生み出す関係であり、その憎悪は取り返しがつかない傷を残す。
だから、家族は大切にしましょう、という言葉が生まれる、喧伝される。
私が知っている理想的な家族の数と、私が知っている嫌悪感しか生まない家族の数は全く釣り合っていない。
私の目に見えている家族たちを見た時に、本当に大切にしようと言えるのかどうか。
辛過ぎる傷を負った人たちの声を聞き、本当に大切にしようと言えるのかどうか。
浄土真宗ではこの世は汚れた土地、穢土(えど)と呼ばれているそうだ。
最も助けが必要な時に、誰からも助けられなかった経験を何度もした人たちは、自力を信じるしかない。
血の滲む努力を重ね、能力を高め、周囲を圧倒する事さえ少なくない。
誰から見ても羨ましい立場にいる人間の目が、声がなぜあんなにも悲壮なのか。
開き直るしかなかったタイプは、たとえ従業員を過労死させても心が傷まない化け物にになる。
開き直るほど傲慢ではない優しいタイプは、人の痛みを我が物のように感じ、どこまでも清廉な精神を摩耗させる。
辛い経験は猛毒へと変化して、周囲へと伝染する。
虐待を受けた人間は子供に限らず、誰かを虐待をするか、それとも直接的な被害から免れた後、自らに対して虐待を続けてしまう。
その猛毒は解毒される時を迎えないまま、自分か他人か、それとも社会を滅ぼしていくのだ。
唯一、その毒が薄まるとすれば、他人からの愛情を受け取った時だろう。
愛情の定義なんて中学生じみた事なんて興味はない。
愛情を受け取るにはお互いが心を開き、信頼し、そこで真摯に関わっていくしか方法がない。
一方的なものではなく、相手の中でも自分の中でもなく、ちょうどお互いの中間に生まれるものが信頼、愛情、友情。
以前、虐待に関するテレビが放送されていた。
誰の心にもコップがあり、そこには水が注がれている。
虐待を受けた子供の心には、とても濃い赤いインクが垂らされて、透明だったはずの水が真っ赤に染まる。
その赤が消える事は一生ない。
愛情だろうが何だろうが、起きた事を消す力などない。
しかし、コップにたくさん水を注ぎ、赤を薄める事はできるし、そうでなければ辛過ぎると、虐待児のケアをしている人が言っていた。
私は彼と全く同じ意見を持っている。
おそらく、そこには私の願いも多分に入っている。
そうでなければ辛過ぎると、心からそう思う。
苦しむだけの命があってはならないと言うけれど、わざわざ言葉にされる事は現実がそうなっていないからだ。
苦しむだけの命がある世界でしか、私が生きる道はない。
辛過ぎると思う現実は、そこらじゅうに転がっているのだ。
私たちは地獄に落ちる事を恐れる必要がない。
なぜなら、この世こそが地獄なのだから。
私たちは天国へ行きたいと思う必要がない。
なぜなら、そんな場所はないのだから。
若い頃のように激しい痛みを覚える機会は激減した。
PTSDが完治した事も関係あるのかもしれない。
ただ、私の目に見えているものは何一つ変わらない。
私の目にはいつだって地獄が見えている。