私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

夏の夜

八月はなぜか気分が上がらない。

 

と言うよりも、夏らしく気分が上がらない感じだ。

 

夏は何もかもが活力を持つ。

 

明るい人が多くなるし、イベントもたくさんある。

 

お気に入りの散歩道を歩いていると蝉時雨が降り注ぎ、空を見ればいつもは穏やかでほとんど変化しないのに、入道雲があれよあれよと言う間に成長している。

 

夏は空まではしゃいでいて、気が付けばどこにも静かなもの、穏やかなもの、変わらないものと触れ合えなくなっているのだ。

 

そういう季節なのだと割り切ればそれで良いのだけれど、私のような日陰を好む人間は静かで穏やかなものが少なくなると、気持ちに余裕がなくなってしまう。

 

お前の居場所はないよ。

 

そう言われている気持ちになる。

 

だから、昼間はほとんど表に出ない。

 

仕事をしている事を口実にして、日が暮れてからしか外へ出ようと思わない。

 

夏の夜は嫌いではない。

 

空は相変わらずよく変化する雲を泳がせて、夜中なのに騒々しい雰囲気を出しているけれど、夏ほど昼夜の落差が激しい季節も珍しい。

 

昼間はこれでもかと騒ぎ立てていた蝉時雨も聞こえないし、ウキウキしている人たちも見当たらない。

 

雪駄を履いて歩いているとペタン、ペタンと音が響き、それ以外は何も聞こえない。

 

晴れている珍しい夜には月明かりが外灯のように眩しい事もある。

 

月光のせいでオリオン座が綺麗に見えなくなるのは残念だけれど、指紋まで見えそうなほどの月明かりが苛立ちや、ささくれ立った心を滑らかにしてくれる。

 

夏は月まで自己主張を強くするのかと思うと笑えるけれど、月はどこまで主張してもやかましくはない。

 

太陽は明るくよく響く声を、月は優しく囁くような声を持っているのかもしれない。

 

月光に吸い寄せられるようにして飛ぶ蛍を見ると、死んだ人の魂が蛍に乗ってまたあるべき場所へと帰っていく様子にも見える。

 

夏にお盆があるのは、もしかしたら必然なのかもしれない。

 

夏は夜だけ好きだ。

 

静かで切なくて、昼間にあれだけはしゃいでいた全てのものが息を潜める、

 

こんな風に穏やかで静かな日々が続きますようにと、祈りたくなる夏の夜。

 

夏はそれだけが救いだ。

いつだって

私の目に見えるもの。

 

ブログのタイトルを決めるのに、それほど時間は掛からなかった。

 

私の目に見えるもの。

 

私の目に見えるものを、本当に他の人も見えているのだろうか?

 

笑っていないのに、笑顔だと思われたい人の顔が見えているのだろうか?

 

涙が流れないほどに悲しんでいるのに、泣かないなんて冷徹な奴だと言われている人の顔が見えているのだろうか?

 

私の目に見えているものだけではない。

 

私の耳に、肌に、心に感じるものを、他の人も感じているのだろうか?

 

私は変わり者だと言われる事が多いけれど、話してみるとほとんどの人が納得してくれる。

 

その目は全く納得していないけれど。

 

困っている人は助けなければと言うけれど、助けようとする人のいかに少ない事か。

 

友人や恋人を裏切るなんて最低と言いつつ、平気で傷付ける人間のいかに多い事か。

 

この世は辛く、苦しい。

 

生きる事は難しく、悲しい。

 

生きる事は良い事だと言われないのに、死ぬ事は、とりわけ自殺は悪い事だと言われている。

 

善の反対に悪があるのなら、生は善でなければおかしい。

 

そういう人間に限って、自分が辛い立場に立たされそうな時、生贄を喜んで捧げる。

 

自分よりも出来が悪く、批判されやすい人間をそっと用意する。

 

身近な人を大切に、とよく耳にするけれど、最もグロテスクな出来事は大抵、身近なところから起きる。

 

家族を大切に、と言うけれど、最も強い憎しみが生まれるのは濃密な人間関係からしかあり得ない。

 

家族を大切にする事が誰にとっても良い事ならば、わざわざそんな言葉が喧伝されない。

 

お腹が空いたら食べましょう、眠くなったら眠りましょう、なんて誰も言わないじゃないか。

 

当然の事、必要な事は言葉にされない、宣伝されない性質を持っている。

 

それならば、なぜ家族を大切にしようと喧伝されるのか、その理由が炙り出されてくるじゃないか。

 

家族こそ最も強い恨みや憎しみを生み出す関係であり、その憎悪は取り返しがつかない傷を残す。

 

だから、家族は大切にしましょう、という言葉が生まれる、喧伝される。

 

私が知っている理想的な家族の数と、私が知っている嫌悪感しか生まない家族の数は全く釣り合っていない。

 

私の目に見えている家族たちを見た時に、本当に大切にしようと言えるのかどうか。

 

辛過ぎる傷を負った人たちの声を聞き、本当に大切にしようと言えるのかどうか。

 

浄土真宗ではこの世は汚れた土地、穢土(えど)と呼ばれているそうだ。

 

最も助けが必要な時に、誰からも助けられなかった経験を何度もした人たちは、自力を信じるしかない。

 

血の滲む努力を重ね、能力を高め、周囲を圧倒する事さえ少なくない。

 

誰から見ても羨ましい立場にいる人間の目が、声がなぜあんなにも悲壮なのか。

 

開き直るしかなかったタイプは、たとえ従業員を過労死させても心が傷まない化け物にになる。

 

開き直るほど傲慢ではない優しいタイプは、人の痛みを我が物のように感じ、どこまでも清廉な精神を摩耗させる。

 

辛い経験は猛毒へと変化して、周囲へと伝染する。

 

虐待を受けた人間は子供に限らず、誰かを虐待をするか、それとも直接的な被害から免れた後、自らに対して虐待を続けてしまう。

 

その猛毒は解毒される時を迎えないまま、自分か他人か、それとも社会を滅ぼしていくのだ。

 

唯一、その毒が薄まるとすれば、他人からの愛情を受け取った時だろう。

 

愛情の定義なんて中学生じみた事なんて興味はない。

 

愛情を受け取るにはお互いが心を開き、信頼し、そこで真摯に関わっていくしか方法がない。

 

一方的なものではなく、相手の中でも自分の中でもなく、ちょうどお互いの中間に生まれるものが信頼、愛情、友情。

 

以前、虐待に関するテレビが放送されていた。

 

誰の心にもコップがあり、そこには水が注がれている。

 

虐待を受けた子供の心には、とても濃い赤いインクが垂らされて、透明だったはずの水が真っ赤に染まる。

 

その赤が消える事は一生ない。

 

愛情だろうが何だろうが、起きた事を消す力などない。

 

しかし、コップにたくさん水を注ぎ、赤を薄める事はできるし、そうでなければ辛過ぎると、虐待児のケアをしている人が言っていた。

 

私は彼と全く同じ意見を持っている。

 

おそらく、そこには私の願いも多分に入っている。

 

そうでなければ辛過ぎると、心からそう思う。

 

苦しむだけの命があってはならないと言うけれど、わざわざ言葉にされる事は現実がそうなっていないからだ。

 

苦しむだけの命がある世界でしか、私が生きる道はない。

 

辛過ぎると思う現実は、そこらじゅうに転がっているのだ。

 

私たちは地獄に落ちる事を恐れる必要がない。

 

なぜなら、この世こそが地獄なのだから。

 

私たちは天国へ行きたいと思う必要がない。

 

なぜなら、そんな場所はないのだから。

 

若い頃のように激しい痛みを覚える機会は激減した。

 

PTSDが完治した事も関係あるのかもしれない。

 

ただ、私の目に見えているものは何一つ変わらない。

 

私の目にはいつだって地獄が見えている。

中央線のホームにて

特別お題「心温まるマナーの話」by JR西日本
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/jrwest

 

祖父が死んだと、そう聞かされた時には駅のホームにいた。

 

20歳の秋口、大学の友人と遊んで最寄り駅に着いた時になった携帯に耳を当てると、叔母の悲しげな声がそう告げたのだ。

 

おじいちゃん、だめだった、と。

 

発車する電車の音よりも、なぜか叔母の声がはっきりと聞こえた。

 

私の凍っていく気持ちを汲んでくれたのか、秋雨は少しずつ結晶を作り、雪に変わっていった。

 

駅の一番端にあるベンチに腰を下ろし、私はうなだれながら祖父の事を思い出していた。

 

私の祖父は中国で戦争をしていて、目の前で親友が撃たれて戦死したらしい。

 

小学四年生の夏、夏休みの課題で何気なく訊いた戦争の話なのに、いつも優しくて笑顔以外見た事のない祖父が、目を真っ赤にして話してくれた親友の話。

 

友達を大切にしなさい。

 

助けられる人がいたら、どんなに嫌いな人でも助けなさい。

 

助けなかった後悔、助けられなかった未練は一生続くのだから、お前のために助けなさい。

 

それまで私に一度も命令口調を使わなかった祖父が、強い口調でそう言った。

 

きっと、祖父は親友の事を悔いているに違いないと、十歳の私は痛感せざるを得なかった。

 

定年後には写真を撮るために全国を駆け回り、いくつも受賞してカレンダーに祖父の写真が使われる事もあった。

 

祖父はそのたび、嬉しそうにこの写真はどこで撮ったんだ、あの写真を撮るまでに何か月もかかったんだ、と教えてくれた。

 

父方、母方共に親戚同士が険悪で、私は祖父や祖母やごく一部の好きな親戚を会う機会を何度も手放した。

 

好きな人よりも、嫌いな人が多いからという理由で。

 

何と愚かな事をしてきたのだろうか。

 

話せなくなってから会いたいと思うなんて。

 

私は幼稚な自分を呪い、足元に涙が何度も落ちた。

 

祖父はもっと私と話したかったかもしれない。

 

祖父はもっと私の話を聞きたかったかもしれない。

 

そう思えば思うほど、己の愚かさ、幼稚さを呪わずにはいられなかった。

 

よく小説で足元が崩れ落ちていく感覚、と書かれているけれど、そんなものはないと確信していた。

 

誇張するにもほどがあると、鼻で笑っていたのに、その時の私は間違いなくその感覚に襲われていたのだ。

 

後悔するような事をしないようにと、祖父が教えてくれたのに、私はその教えに背き祖父が守ろうとしてくれていた後悔の渦に翻弄された。

 

私は祖父から何も学んでいなかったのだ。

 

あの優しい祖父が涙ながらに話してくれた親友の話を、その最も重要な部分を、ずっと理解しないまま20歳になっていた。

 

消えてしまいたい、いなくなってしまいたい。

 

そう思った時、私の膝に温かい何かが触れた。

 

顔を上げると、そこには70代ほどに見える淑女が笑顔で立っていて、私の膝にコーンポタージュの缶を置いていた。

 

綺麗に染まっている長い白髪を右から肩の前に乗せ、胸の中間で結び髪の先端は微かに腰骨に触れていた。

 

身長が170㎝ほどあるせいなのか、外国人かと思うような目鼻立ちのせいなのか、美しい人というのはこういう人の事を言うのだろう、と思った。

 

ゆっくりとした美しく見える所作で老女が隣に腰を下ろすと、私の頭を撫でたのだ。

 

 

 

「こんなに寒い日に、一人で泣くなんて、寂し過ぎるわ。

こんなおばあさんで良かったら、付き合いましょうか?」

 

 

 

 

私が老女に何を言ったのか、あまり覚えていない。

 

ただ泣きながら、経緯をそのままに説明をしたと思う。

 

彼女は私の話を聞きながら、手を握ったり背中をさすったり、頭を撫でてくれた。

 

私は感情的になり過ぎて、思わず「死にたい、死んで祖父に直接謝りたい」と口走った。

 

彼女は優しい、シャボン玉のようなふんわりとした口調で「バカを言うものじゃありません」と口にした。

 

 

 

 

「あなたはとっても後悔してるけれどね、おじいさん、そういう事も分かっていたはずよ。

あなたが後悔するだろう、って。

たくさん後悔なさい。

たくさん未練を持って、それでも生きていなさい。

そのたびに、きっとあなたはおじいさんを思い出す。

おじいさんが心の中にいて、これから先あなたが後悔した時にはほーら、言っただろう? って笑ってる様子を想像してごらん?

あなたとおじいさんがいつでも一緒にいる事を、そうやって思い出してごらん。

あなたとおじいさんの思い出は、生きてるか死んでるかに関係がないの。

心は目の前からなくなったものを大切に守るためにあるのよ。

あなたとおじいさんの思い出も、大切な物の一つね、きっと」

 

 

 

 

 

老女はそう言った後、私の頭をもう一度ゆっくりと撫でて、席を立った。

 

彼女が背を向けた瞬間、どうしてコーンポタージュをくれたのか訊いてみた。

 

理由なんて分かり切っていたけれど、もう少しだけ話していたかったのだ。

 

老女はそんな私の心を見透かすかのように顔を少しだけ振り向かせ、微笑んだ。

 

 

 

 

「去年、死んだ夫がとても好きな物だったから。

きっとあなたにも元気をくれるはずよ」

 

 

 

老女の背中が見えなくなってしばらくしてから、ベンチから腰を上げると膝の関節がギギギと音を立てた。

昭和最後の世代

お題「昭和」

 

お題スロットなるものを発見して、遊び半分でクリックしていると昭和という単語が出て来た。

 

純昭和生まれ最後の世代が、私の世代だ。

 

私の一つ下の代からは63,64、平成元年生まれがいる。

 

昭和から平成の移り変わりなんて、ほとんど平成の時代で生きている私には分からない。

 

私たちの世代は小学生の頃に携帯を持っている人なんて、ほとんどいなかった。

 

auはなくIdoだったし、ソフトバンクJ-phoneだった。

 

小学生の頃、インターネットはまだ接続時間で料金が増えるような、今から考えるとあり得ない時代があった。

 

中学二年生の頃、16和音の着信音が出る携帯を買った同級生をみんなで羨ましがったし、無意味に友達の携帯を鳴らして光るアンテナを見て喜んでいた。

 

ちょうどインターネットが普及し始めた頃、私は中学生で夜更かししながらパソコンにかじりついていた記憶がある。

 

好きな番組を応援する個人が運営しているサイトに入りびたり、そこのチャットでブラインドタッチを覚えた。

 

死にたい、と思う人が多い事を知ったのは、この頃だったと思う。

 

私はようやく自分の居場所を見つけたような気持ちになって、どんどんインターネットにのめり込んでいったけれど、結局私の居場所なんて架空のものだと気付いていたような気がする。

 

どれほどチャットをしても、どれほどインターネットの世界を徘徊しても、画面から離れた瞬間に激しい虚しさが訪れた。

 

ヤマンバギャルもいたし、センターGUYとかいう不思議な男たちもいた時代。

 

ちょうど幼少期にはインターネットが身近になくて、中学生くらいから凄い速度で世界が変わっていった世代が、私の世代。

 

思春期独特の虚しさをインターネットで埋める人が、あまり多くなかった時代。

 

私たちより5歳も下になると、世界観が全く違う。

 

私たちより5歳も上になると、世界観が全く違う。

 

私たちは思春期という人生の中でも、その後に対する影響が大きな思春期に、インターネットが社会を侵食していく様を見ていたし、自分たちもその流れに飲まれていた。

 

今では考えられない事だけれど、ブログをやっているなんて誰にも言えない根暗な趣味だと思われていた。

 

それなのに、みんながみんなブログを隠れてやっていて、そんな風にしか本音を言えない自分を責めていた。

 

私たちはなぜか自分たちを責めるのが好きだったけれど、開き直れるほど社会はネットに寛容ではなかった。

 

今から考えると過渡期だったのだろう。

 

昭和が平成に変わり、ネットが奔流になるまでの。

 

昭和最後の世代は、不思議な時代を生きたのだと思う。

知行合一

今月は嫌いなタイプの人に出会う事が本当に多くて、ただただ疲れるだけの一ヶ月だった。

 

これまで人を避けて仕事を選んだし、過ごし方も出来る限り選んできた。

 

仕事は一人でするだけで済む。

 

やっている事もほとんど一人で出来る事。

 

これ以上人を嫌いにならないためには、出来るだけ人と出会わない方が良いのだと思ってきたのに、何の因果なのか出会いが多くなっている。

 

人との出会いは素晴らしい、なんて大嘘だ。

 

自分が心の底から信頼出来る人の数と、これまで出会ってきた人間の数を比較してみれば良い。

 

そうすれば、どれほど人との出会いによって傷付き、疲労し、絶望してきたのかが分かるはずだ。

 

綺麗事はみんな好きなのに、実際にやるとなると全く別の事をしている。

 

人との出会いが大切だと喧しく主張する人間が、どれほど人の陰口を叩き、足を引いているのか知っている。

 

本当に自分の名誉も地位も金も捨てて、誰かのために動ける人間なんてどこにもいないのに、何よりも大切なものが人だと宣うのはブラックジョークにでしかない。

 

及ばなくても良い、本当に美しいものがこの世にあると分かりさえすれば、それで良いと言った八木重吉がどれほどの絶望感を抱いていたのか、分かるような気がする。

 

大人になればなるほど金に全てが浸食されていくらしい。

 

表情も目付きも言葉も何もかもが、本当に何もかもが金を中心にして回っている。

 

貧すれば鈍するのは事実だけれど、死なない程度に稼いで質素に暮らす事でなぜ満足出来ないのか。

 

なぜ欲望を膨らませる事が善だと、そう思えるのだろう。

 

現世で手に入れたものなんて、全て捨てて死んでいくのに。

 

現世はただ虚しいだけの場所で、その中でごく稀に良い人がいて、その良い人も満身創痍になっている。

 

この世は生き辛い、どこまでも、何歳になっても、いつまでも。

 

嘘を吐くなと怒るのは当然だと理解されているのに、自分が嘘を吐いている自覚なんてまるで持っていない。

 

そんな奴らが信用が大事、信頼が重要と言うのだから、何のことなのか皆目理解出来ない。

 

なぜすぐに言葉遊びを始めてしまうのか。

 

なぜすぐに自己肯定してくれるものばかりにすり寄るのか。

 

なぜすぐに誰かの足を引けるのか。

 

見詰めるべきものは外にもあるけれど、それと同じくらい内側にあるのだという事実をなぜ無視できるのか。

 

おかしい事におかしいと言うのは自然な事で、間違っているものはどう言い繕っても、何人が賛同しても、間違っているという事実は変わらないはずなのに。

 

素朴な事しか言っていないのに、口では分かる分かると異口同音になるくせに、なぜ行動が伴っていないのか。

 

行動で嘘を吐く事は出来ない。

 

儲かる商売を勧めて来る奴が、自分の金を叩いて何かやろうとしているのを見た事がない。

 

どこからか金を集めて運用しようとしている。

 

儲かっているのなら、自分で細々と続けていけばそれで良いはずなのに、なぜ金を集めようと企むのか。

 

行動では嘘が吐けない。

 

言行一致、知行合一

 

こういう単純な事がどうして……。

 

やっぱり私は生きるのに向いていない。

 

嘘吐きを信用なんてできない。

 

嘘ばかりで作られた砂上楼閣こそ、私が生きている現実なのだ。

表象としての世界

ショーペンハウアーは世界は表象であると言い、主観しか存在しないと断言した。

 

つまり、人の数だけ世界がある、そういう意味だ。

 

人は自己の心身を通じてしか、世界と繋がる事ができない。

 

そこには必ず自己というフィルターが掛かる。

 

ただあるものなのに、それが良くなったり、悪くなったりするのは、人の数だけ世界があるからだ。

 

ただあるだけのものが、自己の心身を通過する事によって色分けされる、善悪に分けられる。

 

その事が恐ろしいと思うし、切ないとも虚しいとも思う。

 

きっと世界は透明に近いもので、元々が色分けの出来ないものなのではないだろうか。

 

そこにフィルターが掛けられる事によって、透明なものに色が付いているように見えるのだ。

 

きっと、人が世界が透明であるという事実をごまかしたその時から、世界は歪み始めたのだろう。

 

世界というのはつまり主観なのだから、主観が歪み始めたのだと思う。

 

私の人生もそうだろうし、おそらく他の人の人生も経験や感覚を通じて歪んできたのだろう。

 

ただ純粋にものを、人を、世界を見る事がどうしてもできないのは、弱いからではなくて、人というのはそういう虚しい存在なのだ。

 

価値観を捨てる事など到底出来ない、傲慢で矮小で愚鈍な存在なのだろう。

 

その中の一人として、間違いなく私がいる。

 

その中の一人として、おそらくあなたもいる。

 

私はただ生きるという、とても単純で質朴な事柄に対して、ありとあらゆる価値観をなすりつけ、清らかな水に汚泥を混ぜるような真似をしているのだ。

 

そうすることでしか、私は今までもこれからも生きていけないのだろう。

 

虚しいという言葉しか出て来ないこの感覚を、どんな言葉にすれば良いだろう?

 

私は質素に生きたいし、贅沢を求めるつもりはない。

 

物質的なものに対する執着は最低限だけで、ほとんど持っていない。

 

その反面で精神的にはほぼ潔癖に近いのだ。

 

ありとあらゆる歪みが許せない。

 

ありとあらゆる怯懦を、放縦を、人間性の零落を許せないのだ。

 

私が縋るものはただ自分の生き様だけで、どの場面を切り取られても必死に生きた自負がある。

 

決して戻りたくない過去しかないけれど、それでも必死に生きた事だけは胸を張れる。

 

そこにしか私を支えるものはない。

 

そこが私の弱さなのだろう。

 

世界は主観で人と人は永遠に理解など出来ない。

 

そう思う事でしか救われない人たちが、私を含めて多少いる。

 

分かり合えないのだから、自分に理解が出来ないこの世界は普通なのだと、そう思う事でしか救われない人たちが。

 

虚しいとしか言えないこの感覚を、どんな言葉にすれば良いだろう?