私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

もののあはれ

アメリカの大統領がトランプになって、あんな差別主義者が大統領だなんてアメリカの民度が知れた、なんて話を耳にするようになった。

 

差別主義者だからという理由で差別している辺り、差別反対を訴える人たちはツッコミ待ちなのだと思う。

 

この世から差別が消える事はない。

 

そんな美しい世の中は空想上にしか生まれないのだ。

 

差別を肯定しているわけではない。

 

晴れた日の空が青いのと同じで、そういうものだと思っているだけだ。

 

そもそも人は平等ではないし、平等ではない場所で扱いを平等にしようとすれば、それが必ず差を生み出す。

 

差が与えられる人と与えられない人は区別される。

 

与えられる人は与えられない人たちから妬みや嫉みを買うだろう。

 

与えられる人たちは自分の努力を根拠にしたり、世の中は平等に出来ていない事を主張して正当化する。

 

一生終わらない理解不能な溝が、これまでもこれからも続いていくしかないのだ。

 

差別をなくそうと言っている人の気持ちが分からないでもないけれど、人間やめますか? みたいな話になってしまう。

 

生まれた環境だって一つの差だ。

 

これまでしてきた経験も同じく差になる。

 

人生の中には選択不能な不幸や幸福があって、それによって上昇する人もいれば墜落する人もいる。

 

虐待という問題に関わって来てから、久しく時間が経った。

 

その中で虐待児を助けようとしている人と会う機会も、それなりにあったのだけれど、そういう人たちの多くは差別をなくそう、平等な社会を実現しようなどと謳っていた。

 

その実、虐待児に限らず弱い立場の人を守っている自分に、とことん酔っていただけだという事もよく分かった。

 

もちろん、そうではない人も少ないけれどいる。

 

しかし、たとえば虐待防止の活動に関わる事によって、就活に有利になるだとか、虐待防止を謳う団体の周知に奔走して、最も重要な虐待や虐待児に関心がないとか、そういう事が世の中に蔓延している。

 

結局は弱い立場の人を守るという体裁で、自分の価値を高めたいという事なのだ。

 

だから、差別はなくならない。

 

差別を肯定する人たちのせいだけではないのだ。

 

差別を否定している人たちですら、搾取出来る対象を見付ければ骨までしゃぶろうとしている。

 

差別が良いとは思わないけれど、差別をなくせと叫んでいるにもかかわらず無意識的に差別をしている人たちの群れを見ると、地獄というのはこの世の別名なのだと改めて痛感してしまう。

 

自分の力で生き抜くしかないと思うと、どうしても誰かを踏み台にしなければならない。

 

人より上に行くのなら、したくなくても必ずそうなってしまうのだ。

 

生きるという事は傷付ける事であり、傷付けられる事なのだと信頼出来る人が言っていた。

 

その連環から逃れる術を人は持たない。

 

その虚無感、焦燥感、絶望感を受け入れる事でしか生は持続しないのだ。

 

本居宣長が静かに訴えたもののあはれは、おそらくこういうものなのだと思う。

 

虚無や焦燥、絶望が深ければ深いほど自己が融解していく。

 

完全に融解した時に残る何か、心とも自己とも呼べない「存在」によって認識されるものこそ、もののあはれ

 

人生に救いを求めても、それは悲しみに変わるだけだ。

 

それでも生きている間は生きる道を歩く事になる。

 

今日も人生は暗いし、虚しいけれど落ち込んでいるわけではない。

 

そういうものだと思っているだけだ。

まほろ駅前多田便利軒

お題「何回も見た映画」

 

映画は本当に好きだから、何度も見た映画がたくさんある。

 

結局、思い付いた好きな映画の紹介になってしまうのだけれど、その前に最近は体調を崩す事が多くなった。

 

今も酷い風邪を引いていて、熱が高いし喉も痛い。

 

そんな時、何となく見る事の出来る映画が嬉しいものだ。

 

アクションやミステリーは元気がある時に、思い切り感情移入して見るから楽しいのであって、体調が悪い時に距離を置いて見てしまうと本当につまらない。

 

大好きなアクション俳優ジェイソン・ステイサムが単なるハゲにしか見えなかった時、熱がある時にはアクション映画を見ても楽しめない事を痛感した。

 

彼の名誉のために書いておくけれど、ステイサムは単なるハゲなどではない。

 

彼は動けるハゲであり、戦うハゲであり、スタントマンを使わないハゲなのだ。

 

つまりハゲなのだ。

 

そんな最近、よく見てしまう映画は「まほろ駅前多田便利軒」という映画。

 

邦画はあまり見なかったのだけれど、最近は何となく字幕を追う事にも疲れてしまい、邦画を見る機会が多い。

 

今、邦画を見る方が多い、と爆笑ギャグを飛ばそうかと思ったけれど、これ以上ファンが増えても困るのでやめておいた。

 

まほろ駅前多田便利軒は場末の街で便利屋を営む2人の話で、元々は小説なのだそうだ。

 

気が抜けた、それでいて鋭いトラウマの痛みが眠る空気。

 

何となく育った町に似ている雰囲気があって、すごく良いなと思ったらそれもそのはず。

 

なんと舞台になっている架空の街まほろ市は、私が生まれ育った町田市をモデルにしているらしいのだ。

 

育った町に雰囲気が似ていない方がおかしかった。

 

そんな奇妙な繋がりもあって、まほろ駅前多田便利軒は何度も見てしまう。

 

自己陶酔が行き過ぎている自覚はあるけれど、行天という登場人物がどうしても自分に被るのだ。

 

雰囲気といい、話し方といい、顔が男前でないところを除けば一致する部分が多いような気がする。

 

行天はニートを楽しめるらしいけれど、私にはそれが出来ないところも異なっている。

 

違いはその程度で、あのうだつの上がらない町の空気に馴染み、厭世的なのか楽天的なのか良く分からないあの雰囲気が、どうしても憎めないのである。

 

さて、まだまだ書きたい事はあるけれど、熱が上がって来たので寝る。

とりとめもなく

最近、大晦日のような雰囲気が流れている日が多いように感じる。

 

水底に沈んでいるような、どこまでも静かで弛緩した空気。

 

たまには知っている車の音もどことなく間延びして、気だるそうに響いている。

 

大晦日の退廃的な、緩み切った空気がとても好きなのだけれど、こう頻繁に感じられるようになってしまうとありがたみが薄れていく。

 

まるで廃人の精神がそのまま空気になったかのような、あのどこまでも厭世的で掴みどころのない雰囲気を、どうしてここまで好きになってしまうのだろう。

 

フロイトは人間の中に生を渇望する心理と同様に、死を望む本能があるのだと唱えた事を思い出す。

 

強く生を望めば望むほど、その分だけ死を望む思いが強まっていく。

 

作用に対する反作用と同じように。

 

つまり、強く死を望むという事はそれだけ生に執着していると言えるのだ、少なくともフロイト的に言えば。

 

闘病時代を思い出してみると、確かにそう思えなくもない記憶がいくつかある。

 

こういう風に過ごしたいという思いが強過ぎて、そして、その思いや理想は常に打ち砕かれて、その結果として絶望していたような面がある。

 

強くならなければいけないし、賢くなければならない。

 

社会や人に資する人間でなければならないし、能力は常に磨かなければならない。

 

人に出来ない事が出来るからこそ存在価値があり、そうでなければただのガラクタなのだと思っていた。

 

こういう風に生きたい、過ごしたいというのは間違いなく生に対する肯定的な心理であり、希死念慮とは対極にあるものだ。

 

そういう風にして過去を振り返ると、生と死の両方を強く望む心理によって散り散りになった精神が、悲鳴を上げていた過去のようにも思える。

 

不思議なものだ。

 

当時は全く思わなかったけれど、パリピのように過ごしていれば少しは息抜きも出来たのかもしれない。

 

学生時代、周囲にはパリピが多かった。

 

私はそういう奴らを毛嫌いして軽蔑していた。

 

何人とヤッただの、どの学部のどの子が可愛いだの、そういう話を耳にするだけで辟易としていたけれど、そこまで開き直る事が出来た方が楽だったのかもしれない。

 

生と死について考えるなんて、時間の無駄のようにも思えるし、目の前の快楽に溺れてしまった方が楽しい事もある。

 

楽しい事を考えて過ごさなきゃ、人生が無駄になってしまうと言う人もいる。

 

おそらく、そう言って私を懊悩から救い出そうとしてくれているのだろう。

 

暗い世界だけではないよと、そう言ってくれているのだろう。

 

傍から見れば苦しんでいるように見えるのかもしれないけれど、私は全く辛い思いなどしていない。

 

PTSDは完治した、フラッシュバックもなくなったし、残っているのは小学生の頃から続いている不眠だけ。

 

しかも、その不眠だってほぼ治りかけている。

 

私が暗い世界を見るのが好きなのは、私がその部分でしか生きられない人間だからであって、その部分をしっかりと見る事によって助けられる人がいるからだ。

 

決して自暴自棄になっているわけではない。

 

明るい世界は楽しいだろう、と思う。

 

しかし、行きたいとは全く思わない。

 

楽しいだろうけれど、私がその部分で生きようとすれば必ず摩擦が起きる、精神が消耗する。

 

楽しまなければいけないという圧力が、きっと私を融解させるだろう。

 

明るい場所に立たされると、私の中に眠っている怒りが目を覚ます事があるのだ。

 

なぜかそういう場所で生きている人たちは、他人の心に躊躇なく踏み込んでくる。

 

私は半強制的に生い立ちやら仕事やら、趣味について話さなければならない。

 

そういう普通の事が、私には出来ない。

 

話せば重過ぎる、出したところで誰も触れられない。

 

暗い場所で生きる人たちは、どこか似たようなところがあって、通常であれば驚かれたり忌避されるような話をしても、受け止めようとはしてくれる。

 

私も受け止めようとする。

 

静かで暗く、一般的に言われているような類の救いが何もない、そんな関係が心地良いのだ。

 

「死なない、ただそれだけのために命を削らなければならなかった」という言葉を、実感と共に聴いてくれる仲間は、暗い場所に大勢いる。

 

明るい場所にいる人たちのほとんどは、そういう経験を自己宣伝に使ってしまうのだ。

 

こんな経験をしても頑張っている今の自分、という形で話を持っていく。

 

発泡スチロールのように軽く、それでいて見た目上の大きさだけは十分にある賞賛を受けて、承認欲求を満たしている姿を見ると、まだマツコDXのM字開脚を見た方がマシな気持ちになってしまう。

 

とりとめもなく話をしてしまったけれど、最近はそんな事をよく思う。

思い付くままに

愛を求めて生き続け、その期待が無残に裏切られて満身創痍のまま、絶望の淵から飛び降り命を終える。

 

そんな人生であれば、ある意味でそれは救われているようにも思う。

 

なぜなら、愛は空虚で存在しないのだと、本気で信じる事が出来るのだから。

 

しかし、現実はそれほど甘美な絶望を与えてくれない。

 

自己陶酔したまま死ぬことを許さない。

 

愛が欲しいと思えば目の前に差し出される。

 

たとえば、動植物から無償の愛が私へ向かって注がれる。

 

真剣に絶望するために、真剣に希望を探せば必ず見つかってしまうのだ。

 

世界は白とも黒とも言えない、マーブルペイントを施す斑に染まった水のように濃淡の差がある。

 

真っ黒だと思いたいのに、そうではない現実。

 

白く生きていきたいのに、重油のように粘着質な黒がまとわりつく現実。

 

疲れ果てるのは、当然の事なのかもしれない。

 

辛く、苦しい人生をそれでも生きようと思うのなら、精神力がこれでもかと摩耗していくのだ。

 

もうダメだと思った時には必ず希望が目の前にある。

 

希望を掴もうとすれば、それは霞のように手からすり抜けていく。

 

死にたいと思うのではなく、自分を消したいと思う。

 

いや、それほど強い思いは抱いていない。

 

掴もうとした霞のような希望が、まるで自分のように感じられるのだ。

 

あるようでない、ないようである。

 

あやふやで頼りなく、それでも自己に縋って生きるしかない不安定さ。

 

私は一体誰の人生を生きているのだろう。

 

私は一体、何へと向かっていくのだろう。

 

恋人もいる、愛してくれる大切な恋人が。

 

趣味もある、夢中になれる大事な趣味が。

 

生きる力もある、このままなら自殺せずに生きていくだけの力が。

 

それなのに精神の四肢は脱力していて、立ち上がろうと思うだけで動かない。

 

目の前には多くの人がいるのにもかかわらず、助けてくれと言う気力さえもなく、ただへたり込み眺めているだけの私。

 

時として世界の動きが緩慢に見え、時としてその速さを目で追う事も出来なくなる。

 

私はいつまでここに腰を下ろしているつもりなのだろうか。

 

優しい人たちが私の事を気に掛けてくれるけれど、差し伸べられた手の掴み方なんてとっくに忘れてしまった。

 

手を差し伸べられると、その手を掴んだ時の安心感よりも、放された時の絶望感が先立ってしまう。

 

それならば握らない方が良いのだろう、と反射的に考えてしまうのだ。

 

私は本当に苔のように生きていきたい。

 

目立たず、日光に当たる事もない日陰で静かに呼吸だけをしていたい。

呼吸

自己が世界と繋がるには、自己の心身を通じるしかなく、それ以外に世界を知覚する方法がない。

 

つまり、私が死ねば私の世界は消失する。

 

私が死んでも誰かが道を歩き、木の葉が風に吹かれ、日月が交互に地上を見下ろす事はないのだ。

 

それは私の世界の中では決して起きない。

 

私の死と同時に全ては灰塵に帰し、全てが砂で出来ていたかのようにサラサラと形を消していくのだ。

 

あくまでも私の世界は、私がいるという大前提があり、存在しているだけなのだから。

 

私が死んでも世界が存続する、というのは机上の空論でしかない。

 

知覚できないものがどうして存在していると言えるのか。

 

一体、私は誰に世界を預けてしまったのだろう?

 

世界は主観なのだとショーペンハウアーが叫び、その虚無感、絶望感をキルケゴールニーチェが受け継いだ。

 

それも一面の真理ではあるにせよ、私が死んだら全ての物質に変化が訪れるのかと言えば、やはりそうではない。

 

生物の死は個別的な事柄であり、全体的な事柄ではないのだ。

 

そこでヘーゲル弁証法のように、全体を包括しさらにそこから一段上のものにしていこう、というような思想も生まれて来る。

 

AとBの悪いところを取り除いて良いところを組み合わせ、AでもBでもないさらに格上のCを創造し、CとDがまた同じようにEを生み出し、という連鎖が生まれる。

 

大雑把に結論だけを言えば、ヘーゲルショーペンハウアーは全く正反対の思想を唱え、ヘーゲルは明るく陽気な、ショーペンハウアーは暗く陰鬱とした主張だった。

 

ショーペンハウアーヘーゲルは同時代の人物で、激しく対立し当時の趨勢はヘーゲルに味方していたそうだ。

 

しかし、2人の主著を概観してみると、どちらもその通りだとしか言えないのだ。

 

なぜそこから正反対の思想が生まれるのかと言えば、やはり成育歴や経験の違いが出て来てしまう。

 

ショーペンハウアーは幼い頃、インドを訪れた際に地獄絵図のようになっている世界の中で、救いを求める事はできないと直感的に理解した。

 

世界は盲目的な「意志」の力、つまり●●のために●●する、という形式ではなく、ただ欲する力によって動かされていると主張した。

 

何のためにという目的が失われ、ただ欲するためだけの無目的な力が世界を支配する永遠不変の真理という話。

 

哲学者の紹介をしたいわけではないので、ここで強調したいのは真理の追究を目的とする哲学においてさえも、個人的な部分が見逃せないという点だ。

 

経験、生まれ持った性質、育った家庭環境や出会った人、育った時代の経済、社会、政治情勢なども含まれる。

 

結局のところ、私たちは選べないもの――たとえば育った家庭環境や生まれ持った性質のように――によって、何を考え感じるのかを決められているのだ。

 

世の中では自由の美徳が喧伝されているけれど、自由なるものはこの世に存在などしない。

 

合理的に選んでいるのなら合理に付き従っているだけだし、何も考えていないのならそこに自由な意思が介在する余地などない。

 

私たちは何のために生まれ、何のために死んでいくのか、という事についてさえも分からないままに生き死んでいく道を歩む。

 

幼い頃から不可避の不幸に見舞われた人物は、致命的な欠損を抱きその不足感に苛まれながらしか、生きる事ができなくなってしまう。

 

その欠損が大きければ大きいほど、イデアを求めるようになる。

 

イデアは理想と言い換えても良いのだから、つまり存在しないはずの美しいものを空想する事でしか、一時的な救いさえ感じられなくなってしまうのだ。

 

端的にそれを感じられるのは、たとえば空腹時に想像する食事と、実際に食べるものとでは前者の方が魅力的という事実に表現されている。

 

思い出もそうだろうし、人物評価などもそうだろう。

 

これ以上の不足感、焦燥感、絶望感と直面したくないという思いは、私の意識を現実世界から飛ばす浮力となって、空想癖をさらに酷いものへと変えてしまう。

 

その空想は文章にする事によってのみ自己の対外へと昇華される性質であり、だからこそ仕事がない今日のような日には、こうしてブログを更新しなければならない。

 

最も良いのは小説にする事であり、それが最も強力な発散力を持っている。

 

それなのに今は何も小説が書けない状態が続いているのだから、苦痛の中に人生があると言っても良い。

 

そのくせに大して焦ってもいなければ、不安にもなっていない。

 

以前であればこの焦燥感が不眠や苛立ち、不安や落胆をもたらしていたのだが、今はどういうわけなのか全くどこにも溜まっていかない。

 

逃げているのだろうか。

 

たとえば、やるべき勉強に時間を費やす事によって、自分をごまかしているのかもしれない。

 

世間的には空想に時間を費やすよりも、勉強をしていた方が有効だと思われている。

 

しかし、私の人生はそれでは生きていけないのだ、呼吸ができなくなってしまうから。

 

私はいつになったらこの不足感を、致命的な欠損を補う事ができるのだろう。

 

もっと最低な人物になりたい、と思う事もある。

 

今でも相当なものだと思うけれど、今の私の生活には救いが多過ぎる。

 

幸福な状況になると逃げたしたくなる癖は、この先も治らないのかもしれない。

人生の目的

私には気に入っている散歩道がある。

 

そこは整備された広い道でランニングしている人もいれば、犬の散歩をしている人、ロードバイクで走っている人もいる。

 

それほど大きくはない川に沿って続く道を歩く事が、私が日頃から抱えている心労を和らげてくれるのだ。

 

散歩道沿いには大きな公園があり、そこでは老若男女を見る事が出来る。

 

先日、私が散歩をしている時だった。

 

私がいるのとは反対の岸に、幼稚園の年少程度に見える女の子がしゃがんで何かを取ろうとしている様子が視界に入って来た。

 

魚を取ろうとしているには、あまりにも緩慢で余裕のある動きなので、すぐにサワガニを取ろうとしているのだと分かった。

 

その女の子の少し後ろで、キャップを被った母親が体育座りをしながら眺めていた。

 

その様子になぜか視線が惹きつけられ、川の流れを見ている振りをしながら、親子を観察していた時だった。

 

女の子が短く悲鳴を上げ、川から手を引き抜くと指先にサワガニがぶら下がっている。

 

サワガニが女の子の指を挟んだのだ。

 

高い悲鳴を上げていたから女の子は思い切り動かしたかったのだろうけれど、筋力がまだないせいなのか手に付いた水滴を払うような弱さで指先を振ると、サワガニは呆気なく弧を描いて川の水面に波紋を作った。

 

瞬間、女の子は放心状態のようになり、サワガニがいなくなった指先を見ると安心したのだろう、大泣きしながら母親へ向かって走り出す。

 

母親は体育座りを解いて胡坐を掻き、女の子を受け止めるために両腕を開いた。

 

母親は泣き喚く女の子の体を抱きしめ、頭を撫で「もう痛くないんだから、泣く必要なんてないでしょう」と穏やかに言葉を放つ。

 

川を挟んだ向こう岸は私がいる世界とは全く異なっているように見えた。

 

女の子は泣きながら走っていけば、母親が受け止めてくれると確信していた。

 

母親に対する絶対的な信頼を、あの様子はまざまざと私に見せつけたのだ。

 

何かあった時には頼れば必ず助けてもらえる。

 

それも母親から。

 

私は三人兄弟の三男で、長男は幼い頃に大病を患い腎臓の一部を切除している。

 

その影響で私と次男は二人合わせても、長男と同じ価値を持たない存在としてだけ、家庭内に居場所を与えられていた。

 

長男は困る出来事と遭遇するのではなく、困りそうな段階で既に援助されていたけれど、私や次男が長男から怪我をさせられても、それほどの反応がなかった。

 

どれほど困っていても、苦しんでも、痛くても、自分の力で何とかするしかない。

 

そう思い始めたのは、いつ頃だったのかすら思い出せない。

 

あの女の子が私に見せてくれた母親に対する絶対的な信頼は、私が既に捨ててしまったもので、今となっては欲しいとも思わないガラクタへと相貌を変えたのだ。

 

最近、ようやく貯金が出来るようになり、予定では一年半後、彼女が大学を卒業した時に同棲しようと予定を立てている。

 

ようやく、勢いではなく安心して実家を出る準備が整ったのだ。

 

私はあの女の子のように親に対する絶対的な信頼を、持ち続けたかったのかもしれない。

 

しかし、それは私の人生にはさほど重要ではないもので、そういう運命の下に生まれたのだと思っている。

 

私が自分の子供を作るかどうか、今は全く分からない。

 

どちらかと言えば、欲しいとあまり思わない。

 

子供は好きだけれど、自分の子供は欲しくなどないのだ。

 

私の家系、血脈には呪いが掛かっているとしか思えない。

 

争いの本になる遺産や文化財も、全部寄付してしまおう。

 

美術館にあるものも、そのままにしておこうと思う。

 

血脈を必ず断絶させる。

 

私の人生はそのためにあったのだと、彼女に説得するつもりだ。

墓の絵を描く幼児

最初に自殺したいと思ったのは、いつの頃だっただろう?

 

それは覚えていない。

 

幼稚園児の頃ではなかった。

 

あの頃、苦しい時には死という手段が用意されている事すら知らなかった。

 

だから、早く死にたいと思いつつ、何枚も何枚もお墓の絵を描いていたのを覚えている。

 

ひたすら幼稚園で墓の絵を描いていたせいで、先生たちは心配をしていたらしい。

 

そんな話を聞いた事がある。

 

少し脱線したけれど、幼稚園の頃には既に死に魅了されていたのだ。

 

父親が帰宅し、玄関にある鉄製のドアノブが捻られた時の軋んだ重苦しい音。

 

あの音を聞く事が何よりも嫌いだった。

 

牢屋の扉が閉まるような絶望感を、子供の頃は毎日感じながら育ったせいで、日常から逃げ出したいという思いはいつしか、私にとっての唯一の逃走手段に変わっていた。

 

解離し始めた頃も記憶にないほど昔の話。

 

逃げたいと思うと、本当に逃げられるのだ。

 

体だけをこの世に残して、精神だけを飛ばせるようになる。

 

そういう人の事を世間で廃人と呼ぶのだと知ったのは、高校生の頃だったように思う。

 

小学生の頃、大人の話を聞かなければいけない時には、毎回必ずと言って良いほど解離していた。

 

だから、人の話を聞かないダメな子供として扱われるしかなかった。

 

太鼓でも空手でも学校でも、大人の声は全て私の心を撫でもせず、ただひたすらに音として流されて行った。

 

死にたいと思い始めた頃の事は覚えていないけれど、低学年の時には確実に、そして四年生の時には初めての未遂をした。

 

暴力も怒声も何もかも、どれだけ精神を飛ばしても逃げられなくなった時、体ごと消えるしかない衝動に駆られたのだ。

 

何をしても満たされない日々、致命的な欠損を自己が内包していると痛感する時間だけが残り、世界は苦しみの一色に染まっていた。

 

星や空、風景のように黙した静かなものを好きになったのは、初めて未遂をした後だった。

 

私は雑音を嫌ったし、だからグループの中心にいつもいた。

 

嫌いなものしかないのなら、飛び込んで行っても変化はないだろう、と諦めて。

 

同級生の言葉は病葉のように響き、私の心に全く響かなかった。

 

中学生になると空手に打ち込んで、あわよくば死んで見せようとさえ思った。

 

幸い、道場が厳しい場所だったので、そういう希望を捨てずに済んでいたけれど、常識的に考えて人を殺すような場所であるはずがない。

 

 抑え切れない苛立ちばかり、受け止めきれない苦しみばかり。

 

もう中学生の頃には呼吸をする事さえ辛かった。

 

自分を殺したいほど憎んでいたからこそ、自分に負ける奴が許せなかった。

 

特に空手ではその傾向が強く出てしまった。

 

体もそれほど強くない、運動神経だって大して良いわけではない。

 

そんな私に負けるような努力の出来ないクズには、何をしても良いのだと思い込んで自己嫌悪を暴力によって発散していた。

 

メダルを貰うたびに、私は私に負けた選手たちを見下した。

 

同期で一番強いと言われていて、大会でも常に優勝争いに絡む幼馴染に勝った時、どこまでも侮蔑したのを覚えている。

 

私に負けるような程度の低い奴だったのか、と。

 

そんな歪な自分を憎みもした。

 

中学生の頃、全てのものは異臭を放ち、全てのものが現実味を失っていた。

 

それなのに人の目からは感情が横溢し、これでもかと生を感じさせられた。

 

この世は狂っている。

 

そう確信したのが中学時代。

 

死ぬ機会さえあったのなら、迷わず飛びつくべきなのかもしれないと思ったけれど、初恋の相手がいたので、それだけが支えだった。

 

中学時代についてはまだまだ書き足りない事がある。

 

これは心の整理のためにも、記しておきたいので、ちょくちょく書き進めていきたい。