昔のブログの記事を読んでいると、当時の記憶までよみがえって来てしまう。
私には人と異なる記憶力があるらしい。
覚えている記憶に関してはその匂いや雰囲気、音や人の表情、光の当たり方に至るまで克明に残っているのだ。
そして、私はこの記憶を良いものだと思った事がない。
きっと私が人生のどの時期にも戻りたくないと思っているのも、異様な記憶力のせいなのだろう。
人生のどの時期にも苦しみがあり、微かに覚えのある楽しさと引き換えに当時に戻りたいなどとは思えないのだ。
私は人の顔をよく見て生きて来たように思う。
だから、人の顔付きで性格が分かる事がある。
こう言うと特別な能力を持っているかのように聞こえるかもしれないけれど、代替の人たちはみんな顔を見れば人の事が分かるのだ。
例えばあいつはスケベオヤジだ、という顔付きは大体想像が出来るように。
たまに、本当にたまにだけれど人の顔を見て吐き気がする時がある。
嘘を吐いた、たまにではない。
電車に乗っていると大抵一度はある。
それくらい悪い顔付きをしている人は掃いて捨てるほどいる。
30歳になった今でも私は9歳の頃と変わらず脆く、傷付きやすく、回復するのに時間が掛かる過剰な感受性を持っているらしい。
殴られて育った子供は大人になった時、自分の子供を殴りはするけれど蹴りはしない事が多い。
された事を人は誰かに連鎖させてしまうのだ。
そう思うと、あんな顔付きになってしまった人たちは自ら好んでそうなったのではなく、誰かに蹂躙された過去を持っているのかもしれない。
自分がされた消したいと思うような過去が、今彼らの顔付きをおぞましい相貌にしているのかもしれない。
そう思うと吐き気がすると同時に、切ない存在のようにも見えるのだ。
彼らの中にも癒されるべき何某かがいるのだ、おそらくは。
そして、癒されない悲痛な思いは彼らを地獄に落としたのだろう。
やはり天国も地獄も今、私たちの目の前に広がっているのだ。
今いるこの場所は天国にも地獄にもなり得る。
諸行無常と言えば有体だけれども、私は外に出るたびにそう感じてしまうのだ。
この世に定まったものなど何もありはしないと。
私が外に出るたびにこのような感受性を全開に出来るのは、普段の仕事のせいでほとんど外に出ないからなのだろう。
家の外に出るのは大抵日が暮れてからだし、私にとって人が集まる場所というのは非日常なのだ。
私の日常は私だけで成り立っている。
すれ違う人もいない、ただ静かに一切が過ぎていく。
孤独が辛いという人もいるけれど、私にはこんなに落ち着く環境はないのだ。
日常的に誰かと接する事は私にとってあまりにも負担が大きい。
病院へ行けば何かしらの病名でも付けられるのだろうけれど、私はそれでも私なのだ。
病名や名誉をどれほど与えられても、私は私であり続けるしかない。
私は人間がとことん嫌いで、心の底から侮蔑しているくせにそれでも人と関わりたいという歪んだ心性を持っている。
芸術家は厭世的な人が多く、私のようなタイプも少なくはない。
私が生きていくためにはやはり他者を必要とする。
それでいながら、私は自らを直接に人と関わる事を苦痛だと思うのだ。
創作活動はこの世に対する求愛行為なのだと、どこかで聞いたことがある。
私は、私にとっての執筆とはまさにそうなのだろうと思う。
私は生身の姿で人と接するには、あまりにも神経質なのだ。
しかし、こうして私が書いた文章が読まれる事によって、私以外の人にも何かしらの良い影響があって欲しいと願っている。
それは同族を見つけた安心感なのかもしれないし、こんな厄介な人物が傍にいなくて良かったという憐憫かもしれない。
何でも良い、何でも良いから私は私の腹の内を切り開き見せる事でしか、この世に対して愛してもらう術を知らないのだ。
執筆が異様に好きなのは、単純に好きだというだけではなく、そこに私が愛される可能性を感じているからだろう。
読み返してみるとあまりにもナイーブな日記になってしまったが、腹の内を見せるという意味でもこのまま公開する事に決めた。