私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

思い付くままに

愛を求めて生き続け、その期待が無残に裏切られて満身創痍のまま、絶望の淵から飛び降り命を終える。

 

そんな人生であれば、ある意味でそれは救われているようにも思う。

 

なぜなら、愛は空虚で存在しないのだと、本気で信じる事が出来るのだから。

 

しかし、現実はそれほど甘美な絶望を与えてくれない。

 

自己陶酔したまま死ぬことを許さない。

 

愛が欲しいと思えば目の前に差し出される。

 

たとえば、動植物から無償の愛が私へ向かって注がれる。

 

真剣に絶望するために、真剣に希望を探せば必ず見つかってしまうのだ。

 

世界は白とも黒とも言えない、マーブルペイントを施す斑に染まった水のように濃淡の差がある。

 

真っ黒だと思いたいのに、そうではない現実。

 

白く生きていきたいのに、重油のように粘着質な黒がまとわりつく現実。

 

疲れ果てるのは、当然の事なのかもしれない。

 

辛く、苦しい人生をそれでも生きようと思うのなら、精神力がこれでもかと摩耗していくのだ。

 

もうダメだと思った時には必ず希望が目の前にある。

 

希望を掴もうとすれば、それは霞のように手からすり抜けていく。

 

死にたいと思うのではなく、自分を消したいと思う。

 

いや、それほど強い思いは抱いていない。

 

掴もうとした霞のような希望が、まるで自分のように感じられるのだ。

 

あるようでない、ないようである。

 

あやふやで頼りなく、それでも自己に縋って生きるしかない不安定さ。

 

私は一体誰の人生を生きているのだろう。

 

私は一体、何へと向かっていくのだろう。

 

恋人もいる、愛してくれる大切な恋人が。

 

趣味もある、夢中になれる大事な趣味が。

 

生きる力もある、このままなら自殺せずに生きていくだけの力が。

 

それなのに精神の四肢は脱力していて、立ち上がろうと思うだけで動かない。

 

目の前には多くの人がいるのにもかかわらず、助けてくれと言う気力さえもなく、ただへたり込み眺めているだけの私。

 

時として世界の動きが緩慢に見え、時としてその速さを目で追う事も出来なくなる。

 

私はいつまでここに腰を下ろしているつもりなのだろうか。

 

優しい人たちが私の事を気に掛けてくれるけれど、差し伸べられた手の掴み方なんてとっくに忘れてしまった。

 

手を差し伸べられると、その手を掴んだ時の安心感よりも、放された時の絶望感が先立ってしまう。

 

それならば握らない方が良いのだろう、と反射的に考えてしまうのだ。

 

私は本当に苔のように生きていきたい。

 

目立たず、日光に当たる事もない日陰で静かに呼吸だけをしていたい。

呼吸

自己が世界と繋がるには、自己の心身を通じるしかなく、それ以外に世界を知覚する方法がない。

 

つまり、私が死ねば私の世界は消失する。

 

私が死んでも誰かが道を歩き、木の葉が風に吹かれ、日月が交互に地上を見下ろす事はないのだ。

 

それは私の世界の中では決して起きない。

 

私の死と同時に全ては灰塵に帰し、全てが砂で出来ていたかのようにサラサラと形を消していくのだ。

 

あくまでも私の世界は、私がいるという大前提があり、存在しているだけなのだから。

 

私が死んでも世界が存続する、というのは机上の空論でしかない。

 

知覚できないものがどうして存在していると言えるのか。

 

一体、私は誰に世界を預けてしまったのだろう?

 

世界は主観なのだとショーペンハウアーが叫び、その虚無感、絶望感をキルケゴールニーチェが受け継いだ。

 

それも一面の真理ではあるにせよ、私が死んだら全ての物質に変化が訪れるのかと言えば、やはりそうではない。

 

生物の死は個別的な事柄であり、全体的な事柄ではないのだ。

 

そこでヘーゲル弁証法のように、全体を包括しさらにそこから一段上のものにしていこう、というような思想も生まれて来る。

 

AとBの悪いところを取り除いて良いところを組み合わせ、AでもBでもないさらに格上のCを創造し、CとDがまた同じようにEを生み出し、という連鎖が生まれる。

 

大雑把に結論だけを言えば、ヘーゲルショーペンハウアーは全く正反対の思想を唱え、ヘーゲルは明るく陽気な、ショーペンハウアーは暗く陰鬱とした主張だった。

 

ショーペンハウアーヘーゲルは同時代の人物で、激しく対立し当時の趨勢はヘーゲルに味方していたそうだ。

 

しかし、2人の主著を概観してみると、どちらもその通りだとしか言えないのだ。

 

なぜそこから正反対の思想が生まれるのかと言えば、やはり成育歴や経験の違いが出て来てしまう。

 

ショーペンハウアーは幼い頃、インドを訪れた際に地獄絵図のようになっている世界の中で、救いを求める事はできないと直感的に理解した。

 

世界は盲目的な「意志」の力、つまり●●のために●●する、という形式ではなく、ただ欲する力によって動かされていると主張した。

 

何のためにという目的が失われ、ただ欲するためだけの無目的な力が世界を支配する永遠不変の真理という話。

 

哲学者の紹介をしたいわけではないので、ここで強調したいのは真理の追究を目的とする哲学においてさえも、個人的な部分が見逃せないという点だ。

 

経験、生まれ持った性質、育った家庭環境や出会った人、育った時代の経済、社会、政治情勢なども含まれる。

 

結局のところ、私たちは選べないもの――たとえば育った家庭環境や生まれ持った性質のように――によって、何を考え感じるのかを決められているのだ。

 

世の中では自由の美徳が喧伝されているけれど、自由なるものはこの世に存在などしない。

 

合理的に選んでいるのなら合理に付き従っているだけだし、何も考えていないのならそこに自由な意思が介在する余地などない。

 

私たちは何のために生まれ、何のために死んでいくのか、という事についてさえも分からないままに生き死んでいく道を歩む。

 

幼い頃から不可避の不幸に見舞われた人物は、致命的な欠損を抱きその不足感に苛まれながらしか、生きる事ができなくなってしまう。

 

その欠損が大きければ大きいほど、イデアを求めるようになる。

 

イデアは理想と言い換えても良いのだから、つまり存在しないはずの美しいものを空想する事でしか、一時的な救いさえ感じられなくなってしまうのだ。

 

端的にそれを感じられるのは、たとえば空腹時に想像する食事と、実際に食べるものとでは前者の方が魅力的という事実に表現されている。

 

思い出もそうだろうし、人物評価などもそうだろう。

 

これ以上の不足感、焦燥感、絶望感と直面したくないという思いは、私の意識を現実世界から飛ばす浮力となって、空想癖をさらに酷いものへと変えてしまう。

 

その空想は文章にする事によってのみ自己の対外へと昇華される性質であり、だからこそ仕事がない今日のような日には、こうしてブログを更新しなければならない。

 

最も良いのは小説にする事であり、それが最も強力な発散力を持っている。

 

それなのに今は何も小説が書けない状態が続いているのだから、苦痛の中に人生があると言っても良い。

 

そのくせに大して焦ってもいなければ、不安にもなっていない。

 

以前であればこの焦燥感が不眠や苛立ち、不安や落胆をもたらしていたのだが、今はどういうわけなのか全くどこにも溜まっていかない。

 

逃げているのだろうか。

 

たとえば、やるべき勉強に時間を費やす事によって、自分をごまかしているのかもしれない。

 

世間的には空想に時間を費やすよりも、勉強をしていた方が有効だと思われている。

 

しかし、私の人生はそれでは生きていけないのだ、呼吸ができなくなってしまうから。

 

私はいつになったらこの不足感を、致命的な欠損を補う事ができるのだろう。

 

もっと最低な人物になりたい、と思う事もある。

 

今でも相当なものだと思うけれど、今の私の生活には救いが多過ぎる。

 

幸福な状況になると逃げたしたくなる癖は、この先も治らないのかもしれない。

人生の目的

私には気に入っている散歩道がある。

 

そこは整備された広い道でランニングしている人もいれば、犬の散歩をしている人、ロードバイクで走っている人もいる。

 

それほど大きくはない川に沿って続く道を歩く事が、私が日頃から抱えている心労を和らげてくれるのだ。

 

散歩道沿いには大きな公園があり、そこでは老若男女を見る事が出来る。

 

先日、私が散歩をしている時だった。

 

私がいるのとは反対の岸に、幼稚園の年少程度に見える女の子がしゃがんで何かを取ろうとしている様子が視界に入って来た。

 

魚を取ろうとしているには、あまりにも緩慢で余裕のある動きなので、すぐにサワガニを取ろうとしているのだと分かった。

 

その女の子の少し後ろで、キャップを被った母親が体育座りをしながら眺めていた。

 

その様子になぜか視線が惹きつけられ、川の流れを見ている振りをしながら、親子を観察していた時だった。

 

女の子が短く悲鳴を上げ、川から手を引き抜くと指先にサワガニがぶら下がっている。

 

サワガニが女の子の指を挟んだのだ。

 

高い悲鳴を上げていたから女の子は思い切り動かしたかったのだろうけれど、筋力がまだないせいなのか手に付いた水滴を払うような弱さで指先を振ると、サワガニは呆気なく弧を描いて川の水面に波紋を作った。

 

瞬間、女の子は放心状態のようになり、サワガニがいなくなった指先を見ると安心したのだろう、大泣きしながら母親へ向かって走り出す。

 

母親は体育座りを解いて胡坐を掻き、女の子を受け止めるために両腕を開いた。

 

母親は泣き喚く女の子の体を抱きしめ、頭を撫で「もう痛くないんだから、泣く必要なんてないでしょう」と穏やかに言葉を放つ。

 

川を挟んだ向こう岸は私がいる世界とは全く異なっているように見えた。

 

女の子は泣きながら走っていけば、母親が受け止めてくれると確信していた。

 

母親に対する絶対的な信頼を、あの様子はまざまざと私に見せつけたのだ。

 

何かあった時には頼れば必ず助けてもらえる。

 

それも母親から。

 

私は三人兄弟の三男で、長男は幼い頃に大病を患い腎臓の一部を切除している。

 

その影響で私と次男は二人合わせても、長男と同じ価値を持たない存在としてだけ、家庭内に居場所を与えられていた。

 

長男は困る出来事と遭遇するのではなく、困りそうな段階で既に援助されていたけれど、私や次男が長男から怪我をさせられても、それほどの反応がなかった。

 

どれほど困っていても、苦しんでも、痛くても、自分の力で何とかするしかない。

 

そう思い始めたのは、いつ頃だったのかすら思い出せない。

 

あの女の子が私に見せてくれた母親に対する絶対的な信頼は、私が既に捨ててしまったもので、今となっては欲しいとも思わないガラクタへと相貌を変えたのだ。

 

最近、ようやく貯金が出来るようになり、予定では一年半後、彼女が大学を卒業した時に同棲しようと予定を立てている。

 

ようやく、勢いではなく安心して実家を出る準備が整ったのだ。

 

私はあの女の子のように親に対する絶対的な信頼を、持ち続けたかったのかもしれない。

 

しかし、それは私の人生にはさほど重要ではないもので、そういう運命の下に生まれたのだと思っている。

 

私が自分の子供を作るかどうか、今は全く分からない。

 

どちらかと言えば、欲しいとあまり思わない。

 

子供は好きだけれど、自分の子供は欲しくなどないのだ。

 

私の家系、血脈には呪いが掛かっているとしか思えない。

 

争いの本になる遺産や文化財も、全部寄付してしまおう。

 

美術館にあるものも、そのままにしておこうと思う。

 

血脈を必ず断絶させる。

 

私の人生はそのためにあったのだと、彼女に説得するつもりだ。

墓の絵を描く幼児

最初に自殺したいと思ったのは、いつの頃だっただろう?

 

それは覚えていない。

 

幼稚園児の頃ではなかった。

 

あの頃、苦しい時には死という手段が用意されている事すら知らなかった。

 

だから、早く死にたいと思いつつ、何枚も何枚もお墓の絵を描いていたのを覚えている。

 

ひたすら幼稚園で墓の絵を描いていたせいで、先生たちは心配をしていたらしい。

 

そんな話を聞いた事がある。

 

少し脱線したけれど、幼稚園の頃には既に死に魅了されていたのだ。

 

父親が帰宅し、玄関にある鉄製のドアノブが捻られた時の軋んだ重苦しい音。

 

あの音を聞く事が何よりも嫌いだった。

 

牢屋の扉が閉まるような絶望感を、子供の頃は毎日感じながら育ったせいで、日常から逃げ出したいという思いはいつしか、私にとっての唯一の逃走手段に変わっていた。

 

解離し始めた頃も記憶にないほど昔の話。

 

逃げたいと思うと、本当に逃げられるのだ。

 

体だけをこの世に残して、精神だけを飛ばせるようになる。

 

そういう人の事を世間で廃人と呼ぶのだと知ったのは、高校生の頃だったように思う。

 

小学生の頃、大人の話を聞かなければいけない時には、毎回必ずと言って良いほど解離していた。

 

だから、人の話を聞かないダメな子供として扱われるしかなかった。

 

太鼓でも空手でも学校でも、大人の声は全て私の心を撫でもせず、ただひたすらに音として流されて行った。

 

死にたいと思い始めた頃の事は覚えていないけれど、低学年の時には確実に、そして四年生の時には初めての未遂をした。

 

暴力も怒声も何もかも、どれだけ精神を飛ばしても逃げられなくなった時、体ごと消えるしかない衝動に駆られたのだ。

 

何をしても満たされない日々、致命的な欠損を自己が内包していると痛感する時間だけが残り、世界は苦しみの一色に染まっていた。

 

星や空、風景のように黙した静かなものを好きになったのは、初めて未遂をした後だった。

 

私は雑音を嫌ったし、だからグループの中心にいつもいた。

 

嫌いなものしかないのなら、飛び込んで行っても変化はないだろう、と諦めて。

 

同級生の言葉は病葉のように響き、私の心に全く響かなかった。

 

中学生になると空手に打ち込んで、あわよくば死んで見せようとさえ思った。

 

幸い、道場が厳しい場所だったので、そういう希望を捨てずに済んでいたけれど、常識的に考えて人を殺すような場所であるはずがない。

 

 抑え切れない苛立ちばかり、受け止めきれない苦しみばかり。

 

もう中学生の頃には呼吸をする事さえ辛かった。

 

自分を殺したいほど憎んでいたからこそ、自分に負ける奴が許せなかった。

 

特に空手ではその傾向が強く出てしまった。

 

体もそれほど強くない、運動神経だって大して良いわけではない。

 

そんな私に負けるような努力の出来ないクズには、何をしても良いのだと思い込んで自己嫌悪を暴力によって発散していた。

 

メダルを貰うたびに、私は私に負けた選手たちを見下した。

 

同期で一番強いと言われていて、大会でも常に優勝争いに絡む幼馴染に勝った時、どこまでも侮蔑したのを覚えている。

 

私に負けるような程度の低い奴だったのか、と。

 

そんな歪な自分を憎みもした。

 

中学生の頃、全てのものは異臭を放ち、全てのものが現実味を失っていた。

 

それなのに人の目からは感情が横溢し、これでもかと生を感じさせられた。

 

この世は狂っている。

 

そう確信したのが中学時代。

 

死ぬ機会さえあったのなら、迷わず飛びつくべきなのかもしれないと思ったけれど、初恋の相手がいたので、それだけが支えだった。

 

中学時代についてはまだまだ書き足りない事がある。

 

これは心の整理のためにも、記しておきたいので、ちょくちょく書き進めていきたい。

現代版陰陽師

最近では計画通りに事が運ぶ試しがほとんどなく、目の前にあるものに関連して勉強をする方式に変えました。

 

移動中や予定がない日には予定していた通りに勉強すれば良いのですが、そうならない時には最近した会話の中で薬膳が出てきたら薬膳の、整体が出て来たら整体の勉強をしています。

 

早く哲学の世界に戻りたいと思っているのですが、なかなかそうもいかないのが現状なのです。

 

以前までなら計画した通りに進まない現状に苛立ちを覚えていたはずですが、最近ではいい加減な性格になったのかまぁいいや、で済んでいます。

 

仕方ないとはいえ、一貫性がなくてんでバラバラの勉強をしているのは効率が良くありません。

 

ですから、毎日どれも少しずつやるようにして、日によって重点を置く場所を変えています。

 

さて、そんな風に生活の仕方を変えたのですが、整体に関しては知識よりも技術力が重要になるものです。

 

本と向き合うよりも、体を触っている方が良いわけなのですが、毎日誰かと会って整体をして、というのは現実的に暇が取れません。

 

これでは技術力が上がらないので困ってしまうな、と思っていたのですが、まさに灯台下暗し

 

私も体を持っているのです。

 

しかも都合が良い事に坐骨神経痛やら肩こりやらで悩んでいる、整体向けの体ではありませんか。

 

こんなに良いサンプルを自分が持っていたなんて……と八月の夜空に我が感動の嗚咽が木霊し、高尾山の烏天狗が満月を背中に高笑いを上げ、八王子市内では恋人たちが愛の言葉をささやき合ったと言われています。

 

一週間前から就寝直前に30分程度の整体を自分の体にしています。

 

すると、どういう事でしょうか。

 

14歳の時、空手の稽古中に背骨が折れた時から始まった我が恐るべき腰痛が、二年前には1ヶ月も寝たきりになっていたあの腰痛が、あれよあれよと楽になるではありませんか。

 

人生の半分を蝕んでいた腰痛が、これほどあっさりと楽になるなんて驚きです。

 

ふぅむ、これは本当に信じられないくらいの効果ですね。

 

次はいつ寝たきりになるのか、という恐怖から解放されただけでも、世界が明るく見えます。

 

これだけでも整体の勉強をした甲斐がありました。

 

ちなみに肩こりは三日で消滅しましたが、整体だけではなく真向法と運動を続けている影響もありますね。

 

自分で出来る範囲というのはこれまで気付いていないだけで、本当に広かったようです。

 

話がそれますが、九月の末に面白そうな陰陽五行の占い講座?を受ける事になっておりまして、先日から東洋医学で使わない部分の陰陽五行学説について、サラリと勉強しています。

 

そこで陰陽師の話が出て来るのですが、どうやら陰陽師というのは今で言うところの万事屋、何でも屋だったのだそうです。

 

そうであれば現代版陰陽師を目指したいな、と思いまして。

 

ハチの巣駆除とか電子機器の修理、配管工事などは出来ませんが、心身の健康に関しては現代版陰陽師を目指してみても楽しそうだと感じました。

 

そのためにもまずは物書きの仕事に邁進し、東洋医学と整体、思想と哲学を修めつつも、小説家を目指さなければなりません。

 

やる事がたくさんありますが、どれも楽しそうなので今から気持ちが浮ついてしまいます。

 

30代後半からは空手五段を目指すべく、稽古を始めなければ間に合いませんしね。

 

ふぅむ、案外やる事が山積していますが、楽しそうなので良しとしましょう。

 

さて、今日はゴーストバスターズを観てきます。

 

みなさんも穏やかな平日をお過ごしください。

体から出る声

さて、ようやくブログを更新する暇を手に入れて、ウキウキしながらキーボードを叩いております。

 

仕事も納品が終わり、自分の好きなように文章を作れるというのは、なんてすばらしい事なのでしょうか。

 

今日、ブログを更新している喜びが一入なのは、理由があるのです。

 

実はこれから書く文章は七月の末から感じていた事であり、しっかりと考えが整理出来るまで書かないでおこうと思っていました。

 

それがようやくまとまったように感じたからこそ、今日の更新に至るわけでございます。

 

いやー、ルンルンでござる、もうここで記事を終わりにしても良いくらいの達成感がありますが、ご覧になっている方々の不完全燃焼を解消すべく、これから筆を進めて参りたい所存。

 

私は言葉に関しては非常に強いこだわりを持っています。

 

色々な形態、形式の言葉があるなぁ、と思って毎日何気なく生きてるだけで楽しめるのですが、最近個人的大発見がありました。

 

通常、言葉は頭の中で考えられたもの、という印象があります。

 

理論的であり、より分かりやすくするための道具という雰囲気です。

 

これを仮に頭から出る言葉だとすると、たとえば感嘆詞が付くような「おお!」「すごい!」などの言葉は明らかに思考に先行して、言葉が出ていますので、これを体から出る言葉だと言えそうです。

 

これはすごく面白い事で、体から出る声はタイミングも対象も人それぞれに違うらしいのです。

 

音に反応を示す人もいれば、動きに刺激される人もいますし、間や空白に感動する人もいました。

 

面白いな~、と思っていたのですが、その後にいつも通り落胆する出来事が待っておりまして。

 

確かにその瞬間は十人十色の反応を示していたのに、影響力のある人がその後に何かを言うと、そのとーり! と追従してしまうらしいのです。

 

その時、自分の体から出た声よりも、こうした方が良いだろうと頭で考えた声に従っています。

 

そのように自分自身が何に感動し、どこに関心を持ったのかを忘れてしまうなんて、もったいない事ではないかと思うのです。

 

オチとしては寄らば大樹の陰、長いものに巻かれろ方式に絡めとられて、感性が殺されていく様を見ただけなのですが、その過程には体から出る声なるものがあると確信出来るタイミングがありました。

 

普段、人と同じ事ばっか言いやがって、強い奴にばっかへりくだりやがって、と隅で体育座りをしている私ですが、その過程ではしっかりと個々人の感性を示していたのですね。

 

それに気付かなかっただけだったのかと思うと、人生の楽しみ方を見失っていたような気がして、何となく反省したくなります。

 

何か圧力が掛かってしまうとすぐに変質してしまうほど、個々人の感性というのは儚いものなのかもしれません。

 

これは私の推測ですが、相手の事を知ろうと思うのならリラックスした状態、普段の状態や言葉、態度が重要になるのでしょう。

 

そこに誰かの手垢が付いていない、何かが見えるような気がします。

 

ところで、体から出る声の例を取ってみてもそうですが、自分の好きなものは何か、なんて考える暇というか必要などないのでしょう。

 

これによく似た経験をした事があります。

 

たとえば、伝統芸能で狐やら獅子舞やらをやる時に、舞台に立てば体はどう動けば良いのかを知っているのです。

 

それなら練習は必要ないじゃないか、という声が聞こえてきそうですが、全くそうではありません。

 

体は元からどう動くべきなのかを知っているにもかかわらず、普段から心と体が綺麗に連結している人はほとんどいません。

 

むしろ、心若しくは体を抑制する事が多いのです。

 

つまり、どう動けば良いのか知っているけれど、その通りに動かないように生活の間で訓練されていると言ます。

 

それによって多くの利益が生まれますが、それと同時に連結や一貫性が損なわれ、酷い場合には人生から現実味が失われる事もあるのでしょう。

 

ですから、練習を通じてしっかりと心身の連結を取り戻し、体が動きたいように動ける状態を作り上げる必要があるのです。

 

そのために体を鍛え、そのために体の声を聞かなければなりません。

 

普段の生活の中では知識は武器になりますし、自己を抑制する力が社会性や経済基盤、信用などを培う力へと変わります。

 

それと同時に自己の同一性や一貫性を損なわせてしまう、危険な要素にもなり得るのです。

 

どちらも重要ですから、また例の如く結論は調和させる事が大切というところに落ち着きます。

残穢

今週のお題「映画の夏」

 

先日、地元の後輩から勧められた映画がある。

 

残穢(ざんえ)という映画だ。

 

後輩は穢の意味が分からなかったらしいけれど、私には見覚えのある感じだった。

 

浄土真宗ではこの世を穢土(えど)と呼ぶ事があるらしく、汚れた土地である事を説くと言う。

 

内容を聞くところによるとホラー映画らしく、私はホラー映画の類がとても苦手で1人で観る事ができない。

 

とても面白いと言われても、全く見る気がしないまま話を聞き流していた。

 

すると、後輩は「残穢」が映画化される前、原作の小説でハマったのだと言う。

 

小説でホラー?

 

ホラー小説がある事は知っていたけれど、とりわけ興味を持った事がなかった。

 

後輩の趣味とは共通するものがあるからこそ、初めてホラー小説を読もうかと思ったのだ。

 

秀逸な小説であり、映画も切れ味が鋭かったように思う。

 

内容それ自体も楽しめたのだが、私の頭に残っている言葉だけが気になって仕方がない。

 

触穢(そくえ)という言葉だ。

 

穢れに触れるという意味で、感染してしまうのだと言う。

 

穢れに感染し、人によっては呪いが掛けられたような状態になってしまう。

 

曰くを背負った人、建物、土地などと接触する事を通じて、呪いが降り掛かってしまうらしい。

 

その呪いが濃縮される過程は筆者の憶測とはいえ、非常に説得力がありいきなり毛先を誰かに抓まれるような、そんな恐怖感があった。

 

激しい恐怖ではなく、え? と振り返りたくなる不安感。

 

残穢は触穢を題材にした小説であり、白いワンピースを来た黒髪ロングのおどろおどろしい女に追いかけられるホラーより何倍も恐ろしかった。

 

小説を読み終えてから、私は穢れには触れたくないと思ったけれど、ここで疑問が浮かんだのだ。

 

穢れに触れたくないという思いは、自らが清らかという前提だ。

 

自らが清らかでまだ穢れていないからこそ、穢れに触れる事が恐ろしいのではないか?

 

泥だらけになってから泥が付く事を気にする人はいないのと同様だ。

 

おそらく、穢れはこういう無自覚の部分から生まれる。

 

悪い事をしてやろうとか、このくらいなら許されるだろう、などと全く思わない無自覚の悪意。

 

まばたきをする時のように、イヤホンを付けて再生を押す時のように、特に用事もないのにスマホを取り出す時のように。

 

そのくらい当たり前に誰かが呪いたくなるほどの悪行を、無意識にできてしまうのが人の恐ろしいところなのかもしれない。

 

そして、生まれた穢れに触れたくない、とそう思うのだ。

 

何という傲慢さだろうか。

 

自分が関与したかもしれない呪いや恨みをまるで自然災害かのように感じ、近付きたくないと思っているのだから。

 

もし、私が呪いを生んだ張本人だとしたら。

 

私は理解して欲しい、話だけでも聞いてもらいたい。

 

確かに呪いを身の内に宿しているけれど、それには理由があるのだと言いたい。

 

もしかしたら、呪いというものは恐るべきものではなく、悲しむべきものなのかもしれない。

 

呪いというおどろおどろしいものの影には、純真や篤実、堅忍があるような気がする。

 

その誠実さが裏切られ蹂躙された時、人は何かを恨む。

 

自分でも止められない感情の動きが、心身を滅ぼしながら呪いを形成していくのかもしれない。

 

そう思うと触穢それ自体は不幸であるにせよ、根は悲しむべき人や現象が眠っているのだろう。

 

人の世はいつでも虚しいものなのかもしれない、と「残穢」を見て感じた。