私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

寝ないで書いた日記

昨日からほとんど寝ておらず、不眠症によって日々悩んでいる私にとっては辛い一日になっている。

 

しかし、これは自業自得なので誰を恨むわけにもいかない。

 

というのも、昨夜は幼馴染と二人で友人一家がやっているスナックへ行き、そこで午前1時前まで騒いでいたのだ。

 

仕事の影響もあって私は一日の大半を一人で過ごしているし、大声を出す事もなければ騒ぐ事も一切ない。

 

だからこそ、時折カラオケへ行ったり大騒ぎをしてしまうと体が興奮状態になって寝付けなくなってしまうのだ。

 

そうなると分かっていてもやはり楽しい場所へ行くと騒いでしまうし、眠れなくなってもいいやという気持ちになる。

 

私は人付き合いが苦手であり、人見知りで人の好き嫌いはすこぶる激しい。

 

それなのに周りからはそう見えないらしく、人懐っこくて陽気な人物のように思われる事がある。

 

人に関心などほとんど持っていないし、世間にもニュースにも興味はなく、私の関心を引くのはただただ自分の感覚だけなのに、それとは正反対の人間だと思われるのは不思議な感覚だ。

 

以前、私はエムグラムという心理テストのようなものをやり、それが見事に的中すると言う人が多いし、私自身も当たっているように思えるので事あるごとに見返してしまう。

 

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普段からナイトモードにしているので画像が暗いのはご容赦願いたい。

 

神経をやられやすい人間は目が光に弱くなるらしい。

 

それに加え嫌がらせのように私の瞳は明るい茶色なので、普通の人以上に世界が明るく見えているというのだ。

 

昼間に外へ出なくない理由は目が疲れてしまうからでもある。

 

さて、これがその結果の一部なのだけれど、私としては当たっているように思える。

 

そして、当たっているのが何となく嬉しいので、よく人に見せている。

 

すると、大抵の人はスーパードライというところが絶妙にしっくり来ると言ってくれるのだ。

 

私はドライな人間だと思って生きてきたつもりはなく、むしろ執着心に関しては際立っていると自覚をしてきたのだが、周りからはそう見えていないらしい。

 

しかし、人と話している時には「どうして些末な事ばかり気にするのだろう?」と考えてしまう時がかなりあるのも事実なのだ。

 

私から見て面白いものに関しては尋常ではない執着心を持っているのだが、そうではないものは私の心の表面をかすりもしない。

 

さらに私が面白いと思えるものはそれほど多くないので、そうした意味ではスーパードライに対応しているものが相対的に多く、やはりエムグラムは当たっているように思える。

 

 

 

 

隙がないという言葉をよく言われていた時期があるのを思い出してしまった。

 

その時期は私が誰とも付き合っていない時期で、流れに任せて何人かとセックスをしていた時期だった。

 

相手からそう言われる事が多かった記憶があるのだ、隙がないと。

 

一般的に言われるように賢者タイム云々だから冷たくなるというタイプではないので、おそらく普段からの印象を言っていたのだろう。

 

何事に関しても私は真剣であったり、夢中になっている人が好きで、そうした相手がいると思わず見入ってしまう。

 

観察を始めてしまう事がある。

 

そのために相手を夢中にさせるために色々と覚えようとしていた時期もあった。

 

行為の最中には大抵冷静になっている事が多いのは、おそらくこうした気質に起因しているのだろう。

 

眠たいからなのか、それともいつも通りなのか理由は分からないけれど、今日も私は判然としない世界の中で自分が朧げな存在だと感じている。

 

理性的なのか感情的なのか、さっぱりしているのか女々しいのか、生きているだけなのか生きようとしているのか。

 

ふと思い出したけれど、この感覚は以前にもよく感じた事があるものだ。

 

精神的な不調が顕著になると、そのような状態の人はなぜか景色と姿の境界線が朧に見えるのだ。

 

姿と景色の境界が滲み、少し溶けているように見えてしまう事がある。

 

私はいつからその状態なのだろう?

 

不調なわけでもないのに、病院へ通っている人と同程度の脆さを放っている。

 

全て睡眠不足のせいにして、私はベッドに戻ろうと思う。