私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

「すごいセックスしそう」と言われた

私は文章を書く事が本当に好きなのだけれど、その理由は判然としない。

心地良いのだ、私の中から言葉が生まれ、少しずつ私の濃度が私の中で下がっていくこの感覚が。

私は基本的に一人でいる事が多い。

だからこそ、私は私の濃度が自然と高まっていく。

普通の人なら通勤や仕事を通じて否が応でも人と関わる。

私にはそれがない、関わりたいとも思わない。

 

人やモノと関われば自然と自分の濃度が希釈されていく。

私にはそれがないのだ。

どうしても私の濃度は高まるばかりなのだけれど、文章をこうして生み出している時には私の濃度は少しずつ下がっていく。

続けていけばいずれ私を知覚出来ない薄さまで到達するのかもしれない。

 

私はそれを求めている節もある。

文章を書いている時、私は全力疾走をしているような感覚にすらなる。

書く以外に何も考えられなくなる。

それが心地良いし、自分が空気の中に溶けていくような感覚がある。

 

この感覚が好きだという事はつまり、つくづく私は世の中が嫌いだという事なのだ。

現実を捨てて空気に溶け込みたいと願っているのだから。

私が自分の濃度を下げようとしているのも、きっとそこに何かの繫がりがあるのだろう。

死にたいとも消えたいとも思わないけれど、いつ死んでも消えても良いという気持ちはある。

 

私はこの世をからかっているようなところがある。

全力で生きているように見せかけて、実際にはそうではないところがあるようにしか思えない。

話が飛ぶように感じられるかもしれないが先日友人に言われたことがある。

それは「すごいセックスしそう」という言葉。

 

友人から見ると、いや、ほとんどの人から見ると私は全く不可解な生き物なのだそうだ。

明日人を殺したとしても驚く人はそんなにいないのかもしれない。

だから私は一般人が手を出さないようなことを平気でしそうだと思われている。

それが「すごいセックスしそう」という発想に繋がったのだと思う。

 

行為の最中というのは夢中になるのが一般的らしいけれど、私は一度も自我を失った事がない。

こうして文章を書いているそのままの気持ちで行為に及べる。

しかし、人には性癖があるというではないか。

私は一般的な行為に対して興味がないだけで、何か他の事をして見たら世間の人たちのように没頭出来るのかもしれないと思った。

そこで色々なものを試してみたのだが、結果から言えば私は自分の異常性を思い知っただけだったのだ。

 

ちなみに色々試したと言っても、汚物に関わる事、流血など治療が必要な怪我をさせる事はしていないし、それはこれからもしたくはない。

したいと頼まれたことはあったけれど、今後もそれは断るのだろう。

しかし、その他については頼まれさえすれば期待に応えようとしてきた。

 

結果、私は人の体を縛る術を手に入れたし、他にも小技を覚える事になったけれど、夢中になれる瞬間だけは終ぞ味わう事はなかった。

けれど、私が一度だけ夢中になりかけた事はあった。

 

相手は色白の美大生だった。

スタイルも良く、いつでもモデルになれそうな人だったように思う。

相手に頼まれて私は血管が透けるほど白く美しい臀部を何度も思い切り叩いた。

白い肌に私の手形が烙印のように浮かび上がっていくあの瞬間。

短い悲鳴とも呻きとも言えない声が響いたあの瞬間。

私の瞳孔は開いていたのだと思う。

 

いつも凪のように穏やかな私の精神が波立っていくのを感じた。

 

私は結局のところ歪んだ人間なのだ、歪なものしか愛せない。

いや、歪め「られた」ものしか愛せない。

まっすぐに生きようとしても成育歴が、何かしらの経験が歪ませてしまった切ない人しか愛せないのだ。

 

美大生は泣いていた、痛みから来る涙ではなかった。

 

罰を受けたい気持ちがようやく満たされた恍惚だったのだと思う。

私はそんな彼女を見て美しいと思ったし、その日のうちに駆け落ちをしようと言われたらしていたかもしれない。

心中にだって付き合えただろう。

 

人生というのは本当に複雑なものだ。

 

私は出来るだけまっすぐ生きようとしてきたけれど、行き着いた先はこんな場所だったのだ。

歪められたものしか愛せないのは、そうした存在でもある自分を必死に肯定しようと試みているからなのだろう。

私は直接私を愛せないから、何かや誰かを通して見える私の残影を愛そうとしている。