私は家の中が好きだ。
家の中でも自室は最も好きな場所で、何時間いても飽きない。
自室では好きな本に囲まれて、好きな音楽を聴きながら、こうして文章をひたすら作る事が出来る。
仕事で一日万単位で文字を書いているくせに、こうやって趣味のブログを更新しているあたり、私は本当に文章を書くのが好きなのだろう。
ちなみにボールペンや筆ペンで文字を書くのも好きなので、タイピングだけ好きというわけではない。
しかし、私は家の中が好きなくせに外へ出たがる傾向がある。
もちろん、ただ買い物へ行ったり、所用を済ませるために都心へ出る事が好きなわけではない。
私は定期的に地元へ帰り、伝統芸能の習い事をしている。
最寄り駅が徒歩1時間という辺鄙な場所なので、私はビッグスクーターに乗って通っているのだ。
行きは時間帯的にも混雑していてげんなりとしてしまう事が少なくない。
けれども、帰りは道が空いているし、多摩ニュータウンというバブルがちょうど終わる直前に出来た新興住宅街を抜ける道を通る。
一本道を15㎞くらい走る事になるのだが、私は帰りの多摩ニュータウン通りが好きで好きでたまらない。
道は広く、綺麗な住宅街がよく見える。
好きな音楽を聴きながら走っていると、あまりも綺麗なので泣きたくなるような気持ちにすらなる。
視界から入って来る光景自体が涙を誘うほど美しいわけではないのだ。
むしろ、それほどでもない景色に見える人が多いだろう。
私はあの住宅街にこれ以上ないほどの親近感を持っている。
バブルが終わる前に整備され、バブルが崩壊した後に人がわんさかと入ってきた地域。
バブル熱が高まっていた頃にはもっと大きな町になり、23区にも引けを取らない魅力ある街になるはずだったのだろう。
しかし、バブルは弾けてしまった。
街は期待されているほど育たなかった。
多摩ニュータウンは期待外れの街なのだ。
私が帰り道にトンネルを抜けてすぐ大きな坂を下る場所がある。
その時、正面には多摩ニュータウンの中心部が見える。
そこから見える住宅街の明かりがもの悲しく見えるのだ。
期待に応えられなかった住宅街が、それでも懸命に穏やかさな灯りを点けているように見えてならない。
道は広く美しい。
街路樹は大きく育ち、街は十分な緑に包まれている。
マンションは深夜という事もあって穏やかで、ただ静かに慎ましく灯っている。
期待外れであっても、多摩ニュータウンは生きているのだ。
私は今の場所に引っ越してきて本当に良かったと思う。
こんなに綺麗で、寂しい風景を日常的に見れるのだから。
世界には美しいものがたくさんある。
出不精な私はそれを知らない。
世界遺産の風景などもきれいなのだとは思うけれど、私にとって多摩ニュータウンを越える場所は見つかりそうもない。
今日もあの景色を見て来たから、私の心はとても潤っている。