今日は千葉にいる友人の下を訪ねてしばらく話をしてから整体をしてあげた。
新宿経由で千葉へ行く途中の風景の変わりようが、私にはいつも気になってしまう。
というのも、最寄り駅から新宿を頂点にして人の顔付きが変わっていくからなのだ。
新宿へ近付くにつれて人の顔付きが険しくなっていく。
新宿から離れるにつれて人の顔付きが緩んでいく。
あそこは地獄の釜の底なのかもしれない。
それなのに私は新宿へ行く機会が多いし、自分から待ち合わせ場所を新宿に指定する事も少なくない。
怖いもの見たさというには大げさに過ぎるけれど、私はああいう混沌としている場所が嫌いではないのだ。
住むには辛い場所だとは思う。
私が以前、渋谷区に住んでいた時には一刻も早く都心から離れたいと願っていた。
しかし、私のような人間の生きる場所は、あのように混沌としている場所か人里離れた本当に静かな場所にしかない事を知っている。
東京は確かに人の神経をすり減らす地獄のような場所でもあるけれど、東京だからこそ世間的に「異質」だと烙印を押された人にも居場所を用意しているのも事実なのだ。
育った場所や小さな村社会にどうしても居場所を見出せなかった人間が、それでも自分をごまかさず「異質さ」を堅持し続けられる余地が東京にはある。
私は元々、自然をこよなく愛している人間なのだけれど、年齢を重ねるごとに東京の中に居場所があると感じるようになった。
大嫌いな都心には私を受け入れてくれる余地がある、人の幅がある。
住むには辛い場所なのに、そこにしか居場所を見出せないというのは何という矛盾なのだろうか。
大好きだった育った地元が年々小さく感じられ、霞が掛かったように見えてしまう。
年々、私の中で朧になっていく地元に対する意識、価値観。
しかし、気が付いてみると私が好きだった人たちは東京の中心部へと出て行ってしまった。
皆、形こそ違えど耐えられなかったのだと思う、あの小さな範囲で生きていく事が。
これは田舎に限らず、会社やあらゆる団体に言える事なのだが、勤勉さは村社会では出る杭として打たれる。
誠実に生きていこうとしても、その裏をかく事が世渡りなのだと胸を張る人々がいる。
人を大切にしようとしても、その思いは無残な形で裏切られてしまうのが常なのだ。
私は人の世が本当におぞましいものだと思っているけれど、そんなおぞましさを自分自身が包含している事も知っている。
誰かのせいに出来れば楽なのだろうけれど、誰かから見れば私もその地獄絵図を作っている人間の一人なのだ。
人込みに揉まれている人は多いけれど、自分が人込みの一部として誰かを揉んでいるのだという自覚がないのと同様に、私は無自覚に人を傷付けている。
そして、傷付けた自覚を持たないまま、傷付けられた自覚ばかりが膨張していくのだ。
私はキリスト教徒ではないが、原罪はあるのだと思ってしまう時がある。
人は人として生まれ落ちたその時から堕落を続けていくしかない。
その堕落を止めようとしても、決して止まる事はない。
何とか落ちていくその崖の壁に爪を突き立てて、落下の速度を緩める程度の抵抗しかできないものなのだ。
そんな時でさえ人間は底抜けに明るく考えるように出来ている。
吉野弘が言ったように落下しているのに飛翔していると信じて。
人は罪深いもので、私だってその人間の一人。
そんな人間が生きていく道は紆余曲折し、歩んだ軌跡を振り返るとそこかしこに転んだ自分の血が滲んでいる。
道とすら言えないような、微かな足跡がそこに見える。
まともな人生ではないし、褒められたようなものでもありはしない私の人生の中で、ただ一つだけ胸を張れる事があるとするのなら。
それは私はこの無残な失敗を積み重ねた上でもなお、誠実に生きたいと願っている事だ。
自分をごまかさずに生きようとしている事だ。
これからも積み重なっていく失敗にそれでも耐えられると思えるのは、これまでしてきたようにこれからも自分が人生の苦難に際して、きっとある程度は自分に対して胸を張れるように生きるだろう、と想像できるからなのだ。
それだけが私を支えてくれる唯一のものだといって良い。