雪と空蝉
二週続けて積雪という事で私としては複雑な気持ちになっています。
雪はとても綺麗だし見ているのが好きなのですが、交通の便という事で考えるとやはり面倒だと感じてしまいますね。
駅まで原付で行くのが最も手軽なので、その手段が奪われてしまう事には苛立ちのような落ち込みのような感慨があるものです。
それでも雪が降った後の様子を見るのは好きです。
なぜ雪化粧をした風景が好きなのか、今ぼんやりとベランダでタバコを吸いながら考えていました。
真っ白に染まった風景は全てを零へと還してくれたように感じるのです。
陰惨な過去もろくでもない自分という人間も、何もかもが無に帰したのだと感じられる風景が私はとても好きなのです。
今から全てをやり直す事が出来る。
そう感じられる瞬間、そう思わせてくれる情景が雪から生み出されているのです。
だから、私はずっと眺めていたいほどの感動を覚えるのでしょう。
冷たく凍ったようにも見えるその風景、今後何の変化も起こらないように見える様子が私の心を慰めてくれるようにも感じるのです。
無というのは私を掴んで離さない概念でもあります。
それを象徴的に見せてくれているような気がして、私は雪に染まった風景に言葉を失うほどの感動を覚えます。
決して悲観的になっていたり、落ち込んでいるわけではないのです。
私はいつでもこうだし、さっきまでガキの使いを見ていたので結構笑っていました。
しかし、私が返って来る場所はやはりここ、無の地点、無の場所。
何も手に入らない人生、何も失われない命のはずなのに、私たちは何かを手に入れたと思い込むし、何かを失ったと嘆くのです。
何も手にしていないのに。
人生はショートシーンで見ると悲劇、ロングシーンで見ると喜劇だとチャップリンが言ったように、何も手に入れていないのに何かを失ったと嘆く姿は遠くから見ると滑稽なものなのでしょう。
空蝉という言葉がしっくりと来る感覚を覚えてしまいますね。