望みが叶う事は本当に良い事なのか?
望みが叶う事は本当に良い事なのだろうか?
金持ちになりたい、出世したい、有名になりたい、綺麗になりたい、強くなりたい、健康になりたい。
こうした望みが叶う事は本当に良いのだろうか?
というのも、こうした心情は望みと言われれば響きは良いけれど、欲望である事が明白だからなのだ。
欲望が満たされる事が幸福なのだとしたら、私たちの人生とはなんと虚しいものだろう。
欲望が私を振り回しそれを満たす事に傾倒しながら一生を終えるのだとすれば、それは欲望が私の人生を支配したという事であり、私は私の人生を生きたとは言えないのではないか?
欲望=私ではないことは自明なのだから、私は欲望に支配されるのではなく、欲望を私の一部として支配しなければならない。
自制心の美徳はおそらくここから生まれているのだろう。
やりたいけれど出来ないところに自制心の美学はない。
やりたいけれどやらないところに自制心の輝きがあるのだ。
そうしなければ欲望は無尽蔵に肥大化し、私の人生事飲み込んでしまうだろう。
もちろん、欲望が満たされる事には快感が伴う。
その快感が幸福ではないと言い切る事も出来ない。
また欲望は必要なものでもある。
たとえば食欲や睡眠欲は生きるために不可欠な要素だろう。
それ故に欲望を全て捨て去ろうというのは全く見当違いの話なのだ。
欲望は生きるために必要だが、欲望の充足を主体にして人生を過ごすというのは虚しいのだ。
要はバランスの問題という事になる。
欲望を満たす事も大切だがそれだけではなく他にも追い求めるもの、大切にしておきたいものが自分の人生を生きるために必要なのだ。
やはり人は二面性を持っている、どうしようもない矛盾した二重性の中で生きるしかない。
欲望を満たしたいという気持ちと、欲望に振り回されたくないという思いが相克し、それで今の私を象っている。
欲望だけではない。
おそらく、私の中にある善悪も生死も美醜も真偽も何もかもが、このように相反し混交しているのだ。
もっと語りたい事があるのだけれど、これ以上やると熱が上がりそうなのでやめておく。