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私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

マシューは事故って死んだらしい

無事に原稿の納品が終わったので、今日はいつもなら書かないような話をしてみたいと思う。

 

お金にまつわる話、経済とは何かについて思っているところをまとめてみたい。

 

経済学と言えばいくつもの数理モデルを駆使して、演繹的に答えを導き出されるいわば自然科学のようなものだと思われる事が多い。

 

しかし、実際には社会科学であり、計算で答えを導き出す事が出来ない分野なのだ。

 

さらに厄介な事に現実にはいつでも不確実性というものが付きまとう。

 

たとえば、関東大震災が明日来るかもしれないし、このまま50年来ないかもしれない。

 

未来は決して予測できるものではないのだから、計算の土台となっている前提がないという話になるのだ。

 

つまり、金の動きも予想は出来ないという事になる。

 

では、なぜ様々なモデルが生み出されるのかと言えば、そうしたモデルがあると仮定した方が儲けられる人たちがいて、そのプロパガンダのようなものとして使われる事が非常に多い。

 

計算によって導き出せる答えがある分野に、扇情的な情報など必要なはずがない。

 

この事からも経済学は自然科学ではなく、社会科学であるという意味がよく見て取れる。

 

さて、経済学が計算によって成長するものではなく、人の情緒によって予測不可能な動きを見せるという事が分かったところで、本題に入って行きたい。

 

経済とは元々経世済民という四字熟語を短縮したものである。

 

世を治め、民を救うという意味の言葉で、熊沢蕃山という江戸時代の人物が唱えた言葉。

 

その言葉の本義を考えるのであれば、経済学は世に人に資するものでなければいけないのだ。

 

経済の状態を景気と呼ぶけれど、この気はまさに気分、気持ちの気である。

 

人の気持ちによって経済は動いていくというのは良い表現だ。

 

たとえば、一万円というのは紙の別名なのだけれど、なぜ紙に一万円分の価値があるのだろうか?

 

その価値があると人々が信じている間は、一万円札にはその価値が与えられる。

 

その価値がないと思われた瞬間に、同じ紙で交換出来るサービスやものの量が減り、質が劣っていく。

 

金の価値が減り過ぎればインフレに、減り過ぎればデフレになる、どちらも不景気。

 

一万円の紙の質が変わったわけではなく、人の価値観が変化しただけで景気が良くも悪くもなる。

 

堅苦しく言えば経済とは思想の事なのだ。

 

どのような世界観を持っているのかという点と、望ましいと考える世の中の形は必ず似通ってくる。

 

たとえば、自由を追い求めれば政府のように強力な力を持つ機構は、邪魔立てするものになる可能性が高くなる。

 

よって、政府は必要最低限の事をやれ、民間に口を出すな、貧乏人は自己責任、金持ちになりたいのなら結果を出せ、努力が報われると思うな、自己責任なのだから、という風潮になる。

 

今の世の中はこの状態である。

 

勝てば官軍負ければ賊軍という考えが、あまねく浸透しているのが現在の日本であり、世界の趨勢なのだ。

 

そこに人としての誇りや矜持は塵ほどもなく、稼ぐ金=人の価値に成り下がっているのだ。

 

繰り返すが、経済は思想である。

 

思想である以上は概念であり、絶対的な答えではないのだ。

 

恐ろしい事に勝てば官軍という流れが世界の趨勢になり、それに対する強い反発としてトランプのような人物が台頭してきた面がある。

 

世界平和も人類平等も素晴らしい考えだけれど、まずは自国の平和、身の周りの公平の方が遥かに大切なのだ。

 

それがおそらく人として当然であり、冷たいのではなくそのようにしかならない。

 

喉が渇ききっている時、自分の募金で飢えを満たした子供がいるという事実よりも、コップ1杯の水を求めるのが自然なのだ。

 

そこに善悪はない。

 

経済の話から相当外れてしまうけれど、明治以降この方、日本は進む道を大きく誤ったのだ。

 

勝てば官軍と言うのは日本人的な思想、精神性から程遠い感覚ではないか。

 

国破れて山河在りという感覚、誇りさえ守れば負けたとしても後に続く人が現れる、自己の生の儚さなどを魂に刻み込んだ日本人が、勝てば官軍などと口にするようになれば、もう世も末である。

 

日本人の精神性をなくしてしまえば、日本列島に住む単なる人なのだ。

 

経世済民を唱えた熊沢蕃山が、今の日本を見たらどれほど嘆く事だろう。

 

結果ではなく過程を重視するのであれば、勝てば官軍などと口にする事の愚かしさを実感出来るはずなのだ。

 

もちろん、勝負事に関してはそこまでシビアな感覚が必要だと分かっているけれど、何をしてでも勝とうと思えば、この世は地獄になる。

 

いや、この世が既に内包している地獄的な面が強調される。

 

結局、この世は地獄であるという事実を隠し、見ない振りをする事によって成り立っている。

 

経済の話から非常に離れてしまったけれど、今日はここらへんでおしまいにしたい。

 

なぜなら、ダウントンアビーの続きを見たいのだ。

 

戦争で生き残ったマシューに子供が生まれ、その喜びで有頂天になり脇見運転をしていたら事故って死んでしまったらしいんだよ、嫁もびっくりの展開だわ。