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私の目に見えるもの

愛煙家のブログ

8月6日

 

8月6日と言えば広島、9日と言えば長崎に原爆が落とされた日として、日本人の記憶から消し去られる事がないでしょう。

 

今日は戦争について考えてみたいと思いますが、政治的な話題に口を挟むつもりはありません。

 

私は大抵、精神的な部分に関心を持つので内面に関わる話が多くなります。

 

私は戦争が世界からなくなる事がないと感じているのです。

 

日本は例外的な面がありますが、世界の歴史では戦争がなくなる事はありませんでした。

 

戦争は権力者が起こすもの、という考えを持っていますが、権力者によって庇護されている庶民としての面がある以上、権力者や庶民という立場の違いに焦点を当てるよりも、彼らと我らで共有しているもの、同時に戦争を担う理由を見詰めたい気持ちになります。

 

我が国で言えば日本人であるという事が、権力者と庶民が共有しているものです。

 

日本人として世界の中を生き抜こうとした時、私たちは時として戦う必要性に駆られます。

 

正義と正義がぶつかっている、という話ではなく、日本人として避けられない障害が出て来る場合があるのです。

 

たとえば、身近に大切な人がいてその大切な人が亡くなった後、故人が大事にしていた宝物があったとすれば、それは残された人間が何に代えても守りたいものとなります。

 

装飾品や血縁者かもしれないけれど、郷土や文化のような概念として存在するものかもしれません。

 

それがネックレスだったとしましょう。

 

他にもたくさんもらっているのだから、この際たかがネックレスくらい取り上げても、それほど問題ないだろうと思っている人がいて、それを寄越せと言ってくる。

 

しかし、他にものは渡せたとしてもこれだけは渡せない、もし強引な手段に出るのなら刺し違えてでも戦う必要性が出てきます。

 

もちろん、政治的な話題に手を出すのなら、これほど爽やかではなく目も当てられない唾棄すべき動機が見えてくる場合がありますが、そちらの方面に触れるつもりはありません。

 

あくまでも私たちにとっての戦争とは何なのかを知りたいのです。

 

抗いようのない運命があると、私は思っています。

 

友人としての私、恋人としての私、師匠としての私、弟子としての私、そして国としての私。

 

時と場合によって私たちは国家という概念のために戦う必要性を与えられます。

 

存在しないもののために、殺し合わなければならない事があるのです。

 

しかし、そのような世界しか人には作れないからこそ、戦争がなくなる事がない面もあります。

 

さらに国家によってどれほど私たちの生活が守られている事でしょうか。

 

私が安心して芸事に打ち込み技術力を向上させ、恋人の話に耳を傾けてうなずき、友人と冗談を言い合って抱腹する事ができるのは、国家という概念があってこそなのです。

 

私がこのように穏やかな生活を送るためのインフラは、誰が整備してくれたものでしょうか。

 

治安は誰が守り、公共機関は誰が運営しているのでしょうか。

 

全ての事柄が連環の中にあるのなら、戦争がある世界を作っている一因が私にもあなたにも、そして誰にでもあるのです。

 

私たちの心の中から怒りや嘆きなどの負の感情がなくなる事はなく、強欲や怠惰のようなものも消える事がありません。

 

自分だけの事であっても悪い部分を抑え切れない人間が、数えきれないほどいる世の中で抑え切れない怪物が生まれない方が不自然です。

 

その1つとなっているのが戦争なのだと、私は理解しています。

 

避けられない悲劇の中で散華された方も大勢おり、その生き様や死に様から何を学ぶべきなのでしょうか。

 

幼い頃、旧日本軍は天皇を崇拝する狂信者だと聞かされたことがあります。

 

確かにあまりにも強い勢いで特攻隊を礼賛していた地元のおじいさんもおり、幼い頃は恐怖感を覚えたものです。

 

風の噂ではそのおじいさんの友人が特攻隊だった、との事でした。

 

しかし、私があのおじいさんの立場だったとしたら。

 

特攻隊というぼんやりとしたイメージではなく、旧知の友人の顔や性格、話し方や風貌、家族構成など血肉の通う記憶があったとしたら。

 

友人が250㎏の爆弾を積んだ特攻機で敵艦を目指していく、その様を想像した時。

 

おそらく恐怖に震えた事でしょうし、もっと生きていたいと思っていたかもしれない。

 

それでも散華する道しか与えられなかった友人に対して、私が残された立場ならば是が非でも肯定せざるを得ません。

 

私の友人は立派に、雄々しく散ったのだと言うしかありません。

 

本当は違うだろうと思っていても、そう言うしか道がないのです。

 

もちろん嘘としての面を持っている言葉です。

 

真実ではないかもしれません。

 

しかし、嘘だろうと分かっていても、踏み込んではいけない領域があるのだと、私はこの件で学ぶ事が出来ました。

 

子供の心の中でサンタクロースが空から落ちないようにするためには、全ての嘘を暴いてはいけない、という言葉を思い出します。

 

私たちは誰しもが物語の中で生きており、それぞれの思いが錯綜し時には摩擦を起こし、悲しい事に武器を手にして対峙する事もあるのでしょう。

 

私の物語は時として国の物語となり、翻弄されてしまう事もあるのでしょう。

 

戦争は悲しむべき事です、それに間違いはありません。

 

しかし、人の人生そのものが悲哀に満ちた面を持っているのだと思い出せば、戦争だけを切り取って云々というのは不自然でもあります。

 

なんだか後味があまり良くない記事になりましたが、ここで終わりにします。